十津川村の果てしない山奥、その名もズバリ、果無(はてなし)集落を歩いていたとき、道脇に枯木が倒れていた。
風倒木という言葉を思い出す。英語ではナースログという。
ナースとは看護婦、ログとは丸太。看護婦の役目をする丸太という意味だ。
風倒木が森を癒やして(看護して)くれている。
ただ朽ちているように見えて、実はそこにコケを生み、バクテリアなどの微生物が棲めるようにしている。潤いを与える。だから虫たちがやってくる。それを狙って小動物が寄ってくる。大きな動物も現れる。
それらが森にさらなる潤いを与え、土壌を肥やしていく。
豊饒な土地あればこそ、若木がまた力強く育っていける。全てつながっている。
まちづくりで必要なのは「よそ者、若者、バカ者」とよく耳にする。
では、そうでない者、例えば年輩者はもう不要なのか? 老害と呼ばれぬよう、ただ去りゆくのみなのか?
奈良の3つの「最も美しい村」を訪ねて思った。
若手が生き生きしているのと同時に、年輩者がいい味だしてるのだ… と。
若者の活力は分かりやすい。パワーがあるから。頼もしい。
よそ者が土地にない潤いを運び、バカ者はときに状況を打破する(明るく、愉快にもしてくれる!?)
でもそれらも、豊かな土壌あってのことだ。
乾いた砂地に、木は育たない。根は張らない。
「なんでもやってみたら、よろしいがな」。吉野山観光協会 会長の東さんは仰った。
ご多分に漏れず高齢化が進んでいるだろうこの町では、ずいぶんと若い人の活動が目についた。
「ぼくたちは、伝えなきゃいけないんです」
複数の人が、同じ意味のことを言っていた。
受け継いだものを持つ者は、強い。
地に根を張って、伸びていける。
伸びた若木ばかりが目立ちがちだが、実は風倒木が支えてる。
そんな森は豊かだし、町は素敵だと思う。
奇しくも今日は、3月11日。
語ること、見えないものに目を向けることが多い日になりそう。