名古屋に来ています。この機会にぜひ、立ち寄りたい場所がありました。
「円頓寺商店街」、ご存知でしょうか?
シャッター通りと化したかつての繁華街が、今ふたたび人気を博し、センスのいい人とお店が集まるエリアとして評判だというのです。新刊『名古屋 円頓寺商店街の奇跡』(山口あゆみ・著。講談社+α新書)によると、「名古屋で今もっとも注目を集める商店街」であり、「店を出したい憧れの場所」で、「家賃はここ数年どんどん値上がりしている」とのこと。
同著を読んで、「これはこの目で確認しよう」とやって来ました。秋に開催される「パリ祭」では、通りが通行困難になるほどの賑わいといいます。はたして、どれほどスゴいのか…?
あれ? なんだか、予想と違う。
時間は、午後6時半。
仕事を終えた勤め人が、帰路につく頃。名古屋駅付近は混雑していたけど……。
ちょっと、早いんだろうか……。 そう思いながら、商店街を歩いてみる。
およそ200メートの通りはほどなく終わる。おおむね左写真のような感じで、人影はパラパラ。
アーケード(屋根)はモダンで、雰囲気は悪くないけれど、やはり寂しすぎる。これを「奇跡」と呼ぶには、抵抗がある。
本は、セールス目当てのポジショントークだったのか? そんな思いが脳裏をよぎる。
確かに、センスを感じさせるお店は点在するが、それは全体の1割ほど。あまりワクワクしない。1往復して、「もういいかな…」という気持ちになってきた。
商店街の反対端に出たとき、ちょうど目の前にタクシーが停まり、なかから会社員らしい男女4人グループが降りてきた。
「あんた、名古屋の人じゃないの? ここ初めて? じゃ、行こう。おもしろいとこあるから」
そう話しながら、商店街に消えていった。
先導する男性は、明らかにここを気に入っており、何度も来ている様子だ。
やはり、それだけの魅力が、この円頓寺商店街にはあるのだろう。
「せっかく来たんだ。もう1度だけ行ってみよう」。そう思い直して、踵を返した。
円頓寺商店街は “界隈” がおもしろい。地域の魅力は面(エリア)で見るべし。
周りを見渡すと、心なしか、人の数が増えてきた気がする。その人影が、次々と商店街に吸い込まれていく。
今度は、少し歩いてから横道にそれてみた。これが正解!円頓寺商店街の真価は、横道に入ってこそ分かるものだった。
「商店街」というから、アーケードのある1本道にばかり目が行ってしまうが、ここの魅力は店という「点」や通りという「線」で見るのでなく、周辺地域を含む「面」で捉えないと、その良さが分からない。
『円頓寺商店街の奇跡』というより、正しくは「円頓寺商店街界隈の奇跡」なのだろう。
(あとであらためて本を開いてみると、同著にも「アーケードのある円頓寺商店街に加え、そこから延びる路地、江戸時代からの建物が残る四間道のエリアが「円頓寺界隈」とされている」と書かれていた)
横丁を抜け、少し歩くと急に “町の顔” が変わる。
このへんは現在「四間道」(しけみち)と呼ばれるが、元々は名古屋城への物資供給拠点であり、第二次大戦の戦火をまぬかれた蔵や町家が多数残っている。それらをうまくリノベーションして、飲食店等に活用しているのだ。
ちょうど陽も暮れて、雰囲気が出てきた。
抑え気味の灯りが風情を醸し出している。
ちょっとキレイすぎかな?と思う場所もあるけれど、すぐ側に一般住居も連なっており、「いかにも観光客向け」という無機質な感じはせず、ほどよい生活感があるのが良い。
狭い路地を歩いていると、台所からカレーのにおい(?)がしてきそうだし、TVのナイター中継の音が漏れ聞こえてきそうだ。
「いいな」と思えた。
名古屋 円頓寺商店街は、奇跡の途中!? パリ祭に期待。
かれこれ1時間近く、この界隈を歩いたろうか。1人だとちょっと入りづらいお店が多いが、それでも結構楽しめた。相変わらず人の気配はあまりないが、もしこれで「パリ祭」(商店街の秋のお祭り)のときに雰囲気が一転、大盛況になるのなら、見てみたい気はする。
こんなところが名古屋城と名古屋駅のほぼ中間、両方から徒歩圏内にあるのだから、もう少し人通りが多くて良いように思う。
もともとの商店街の “さびれ具合” を知らないので、この現状を「奇跡」とか「甦った!」といって良いかは疑問だが、蔵や町家を取り壊さず、うまくリフォームして活用している関係者のご尽力には頭が下がる。
帰り際、メインストリートを再度歩いてみたが、やはり人通りはまばらだった。
ここまで来るのも大変だったろうが、これからさらに発展するのだという期待をこめて、「甦った」とか「奇跡」ではなく、「復活の途上」とか「奇跡の途中」ぐらいに言っておいた方が良いかもしれない。
「いいな」という思いと、一抹の物足りなさを感じた、名古屋円頓寺商店街 訪問だった。
新刊『名古屋 円頓寺商店街の奇跡』について
同著については、読んだ内容と実際に目にした内容にかなりの乖離があるので、ちょっと厳しめなコメントになってしまう。
著者は商店街の関係者ではなく、地元民へのヒアリングを元に短期間で仕上げた “いかにも本” のような印象を受ける。(ちなみに著者はベストセラーになった『キリンビール高知支店の奇跡』の取材・構成メンバーの1人で、出版社も同じ。デザイン・構成まで似ているので二匹目のドジョウを狙ったといわれても仕方がないか…)
とはいえ、そうした穿った見方をせず、内容を素直に受け取れば、「まちづくり」において大切な要素が散りばめられているので、読んで損はないと思う。
スラスラ読めて、150ページ少々、800円(税別)。週末の読書にでも。
以下は、メモ。
● たった1人の情熱が、地域を変える
円頓寺商店街の変革は、役場職員でも、地元住民でも、ましてや雇われコンサルなどではない、商店街を愛する一人の建築家・市原正人さんから始まった。
元・花街の芸妓さんで、三味線と長唄の “お師匠さん” でもあるおばあちゃんとの交流を通して、市原さんは商店街への愛着を深めていき、お師匠さん亡き後、誰に頼まれたわけでなく “勝手に”「商店街再生プラン」づくりを始める。
● すぐに結果を求めない。ただし、執着心を持ちつづける。
初期の取組の1つに「空き家バンク」設立がある。全国どこの自治体でもやっているが、成果を上げている所は少ない。円頓寺でも挫折した。
「そんな、なんに使うか分からんものに貸すとか貸さないとか言えないしょ」
「使えるように(改修)するにはどれだけ(お金が)かかるか分からないのに、家賃なんか決められない」
「そもそも空き家っちゅうけど、物入っとるでね、うちの」
そんな反応ばかりで、登録リストは一向に増えなかったのだ。しかし、そこで終わらないのが、他との違いを生む。
「空き家バンクに自分の物件が公開されるなんて嫌なんだ」という相手の気持ちに気づき、自分たちの事業ありきで、事を進めようとしていたと反省。
もし自分が借りるなら「家賃はこれぐらい。この場所、この建物ならこういう店を出したら面白い」というプランを(これまた勝手に!?)つくって、家主に提案するようにした。
このアプローチ変更が、1軒目の改修受託につながる。
●「歴史があるというのは素晴らしいことだけど、反面、過去の栄光があると目先が曇るんですわ。商売を続けようと思ったら、それはあなた、生きた的を射なくてはいけないのだから、過去はこうだった、と言っていつまでも同じことをしていてはいけないし、スタイルも変えなくちゃならない。だけど、私も商店街もなかなかそのことに気づけなかったね。」
●「店を誘致するときの判断は、老舗になり得るポイントがあるかの見極め。それにはまず、個性的で業態に特徴があるかということ。もうひとつは、ファンやサポーターを得られるカリスマ性のある店主であること。感度の高い店主ということです。人が人を呼ぶんですね。」
● 急いで街を変化させようとせず、時間をかけてプロジェクトを浸透させたことが大きい。26軒の店を開けるために、10年近くを費やしている。
● なぜ、名古屋で、いきなり『パリ祭』?
それは市原を含めメンバーにパリ好きが何人かいたらか、というごく単純な理由。ただし、好きだからこそ、何が本物なのか分かるし、恥ずかしくないものにしようと考える。
出店してもらう店は公募ではなく、「これぞ」という店にこちらから声をかけにいった。ネームバリューのある店も含めて20店舗ほど集まったあとで、公募を行ったところ、「こういう店が一堂に揃うなんてすごい」と出店希望が殺到した。
● パリ最古のアーケード付き商店街「パッサージュ・デ・パノラマ」と円頓寺商店街は平成27年に姉妹提携。円頓寺商店街にとって、自分たちの街の価値を客観的に見直す機会になった。古いもの、モダンなものが共存する街の有り様や、円頓寺らしさに誇りを持つことにもつながった。