出雲大社に詣で、「スモークハウス白南風」で燻製職人・青木さんと出会い、石見銀山・大森集落の散策も済ませた。いよいよ、旅のハイライト「暮らす宿 他郷阿部家」へ足を踏み入れる。
人口が 20万人から 400人にまで激減し、町は廃墟と化しておかしくないはずなのに、この町はそうはならず、むしろ若者や都会の人を中心に来訪者が増えている。一体どういうことか?
調べるうちに、ある夫婦の名前があちらこちらに出てきて、その考えや暮らしを映し出す宿があることに気づいた。それが松場大吉・登美ご夫妻であり、「暮らす宿 他郷阿部家」だ。
百聞は一見にしかず。まずはご覧いただきたい。
どこを、どう切り取っても絵になる。
博物館のように過去のものを保存・展示するのではなく、今なお実際に、毎日使っているから暮らしの温もりが伝わる。お風呂場や洗面所もこのとおり。
古い町家が並ぶ美観地区や歴史的建造物の保護区域は他にもあるが、そのほとんどが保存・観賞を目的としており、生活のにおいはしない。景観と暮らしが分離している。
ここ「暮らす宿 他郷阿部家」は、文字どおり暮らすための宿。美しさと暮らしが一体だ。松場登美さんの言葉を借りるなら、「丁寧な暮らし」が息づく場所。
それもそのはずで、松場さんご夫妻はボロボロになった古い武家屋敷を買い取り、自らそこに住みながら10年もの歳月をかけて修復した。この家に暮らしが宿るのは、当然なのだ。「待っててね。今、直してあげる」。そう語りかけて、少しずつ、少しずつ、手入れしたという。
松場さんご夫妻のこれまでの事業や生き方については、とうていここで伝えきれるものでなく、登美さんご自身の著書や著名作家による書籍もあるので(末尾参照)、詳しくはそちらをご覧いただきたい。その中でも特に印象に残り、他地域の参考にもなりそうな点を3つだけ触れておきたい。
「遠慮せず使うことで、価値を高める」
上でも少し触れたが、ここでは美しさは「見る」ものでなく、使って「生かす」もの。それにより人も生かされている。柳宗悦らで知られる「用の美」「民藝」に通じる。
“ 保存のための修復では意味がないと思っていました。それよりもこの家を活用し、たくさんの人に楽しんでもらうことを大事にしたい。遠慮せず使うことで、価値を高めていきたいと思ったのです。” (松場登美)
そう考えるからこそ、現代の暮らしに合った「快適さ」も諦めない。
古いものを古いまま残すのではなく、良いものは取り入れ、新しいライフスタイルや価値観を築く。それが松場大吉さんのいう「復古創新」。保存か開発か、田舎か都会かの二項対立でとらえない。
そんなある種のユルさ、おおらかさが阿部家をはじめ集落全体に広がっているから、外部の人でも気軽に訪ねられる、風通しのよさを生んでいる。
「モノではなく、町の暮らしをデザインする」
この土地ならではの「大森らしさ」を大切にする松場ご夫妻だが、はじまりは家にあった端布(はぎれ)を縫いあわせた雑貨品販売だった。「母親のぬくもり」を意識したパッチワークの小物をデパートの催事や駅のコンコースで売った。それが、都会の人の心をとらえ、今や全国に30店舗を越す衣料品ブランド『群言堂』に発展する。
唯一無二の素材があったわけじゃない。特殊技術があったわけでもない。“田舎のふつう” を磨きあげて今がある。「うちの村には、なんにも無い」。小さな町や村に行くと必ずそう嘆く人がいるけれど、参考にすべき点があると思う。
「モノ(服や小物)を売りたかったのではなく、この町の暮らしをデザインし(伝え)たかった」。モノならば、もう溢れかえっている。食品なら、おいしくないものを見つける方が難しいぐらいだ。
衣食住が満たされているのに、幸せを実感できない人は多い。若い人が『群言堂』を支持し、都会の人が「暮らす宿 他郷阿部家」を訪れては「ふるさとに帰ったようだ」という。心をとらえているのは、モノではなさそうだ。
「見えないものこそ、大切に」
「他郷阿部家」のスタッフに限らず、大森集落で会う人にはおだやかな表情の人が多い。それは一般にいわれる「田舎は自然が豊かで、人がいい」とは全く別種のもの。
“ 何かと向かい合うとき、どれほど雄弁に説明されたとしても、それを信じるか否かはまた別の話である。結局は人であろう。言葉足らずな人や寡黙な人でも、信じられる人は信じられる。
「証拠がないと信じない」とか、「科学的に証明されていないと信じない」という人もいるが、私にはそんなことを言う人は了見の狭い人に見えてしまう。”(松場登美「群言堂の根のある暮らし」)
接客でも、他愛のない会話でも、ここでは距離感が「ちょうどいい」と感じるのは、そんな人への思いやりや信頼がベースにあるからかもしれない。
「目標を設定したら、最短経路を見定めて、1つずつクリアーしていく」。ビジネスではそれが良しとされ、ゴールから計画を逆算し、人が当てはめられる。利用し合う関係になりやすい。
一方、松場ご夫妻・他郷阿部家の場合、「人ありき」だ。あの人とこの人がいるから、こんなこともできる。こうしよう! と、現在地から広がっていく。プロセスも一緒に愉しんでいく。いうなれば、
「ああして、こうして、そうすれば、こうなる(目標達成!)」と考えるのが、多くのビジネス。
「ああして、こうして、そうやったら、こうなった(おかげで楽しかった、ありがとう!)」と構えるのが、松場式。
乱暴なまとめ方で、関係者には怒られるかもしれないが、「他郷阿部家」へおじゃました1訪問者の印象では、接客されるというより、その場に一緒にいさせてもらった感じが強い。おかげで滞在が心地よく、どんなホテルよりも心身が安らいだ。
無いものねだりをして人を利用し合うより、目の前の人の気持ちを(目に見えずとも)汲みとって進んでいく。幸せな暮らしは、案外そんなところにあるのかもしれない。それが人の表情にも、モノや地域の美しさにも現われる。
最後にもう1つ、阿部家について忘れてはいけないことがある。食事・団欒(だんらん)のひとときだ。「暮らす宿 他郷阿部家」最大の魅力の1つといえる。フランス料理界の大御所が、「これはもはや家庭料理ではない!」と賛嘆した阿部家の食事とは? 松場ご夫妻からそのエッセンスを受け継ぎつつある、若き「暮らし紡ぎ人」たちとともにご紹介したい。
(つづく)
松場ご夫妻や石見銀山・群言堂については、多数の著書や紹介記事があるが、特にオススメなのが次の2冊。