今、古民家ホテルや古民家カフェが、ちょっとしたブームになっている。
あたかも地方再生の切り札かのように、国や自治体も積極的に予算を分配している。
大丈夫か?と思う。 古民家がいけないわけじゃない。むしろ好きだ。が、ブームになり、補助金がつき、雨後の筍のように「古民家カフェOPEN!」と報じられるのを見ると、なにか危うものを感じてしまう。
一時の「ゆるキャラ」ブーム、「B級グルメで町おこし」のように、ブームを後追いするとロクな事がない。(いま、B級グルメを言う人はほとんどいないし、「リストラされる、ゆるキャラたち」という笑えないニュースさえある…) 本当に笑えない。
それでも、古民家ホテルやカフェが、地域の活力を生むケースはあるし、B級ならぬ「A級グルメ」を掲げ、独自路線で人を呼び続けている村もある。
なにが違うのか?
十津川村にも、古民家ならぬ旧小学校 職員住宅を改修したリノベーションハウスがある。できたのは「古民家ホテル」が今のように注目されだす前、平成24年だ。
当時、築100年を越す、ボロボロの旧職員住宅など、誰も見向きもしなかった。まして、秘境と呼ばれる十津川村の小さな集落での話。
「こんなところにホテルなど…」 周囲から冷ややかな視線が注がれた。近隣はおろか、世界中から観光客が来るなど、夢想だにしなかった。
ところが、それが、現実となる。
「やろう、やろう」と言っていたら「お前がやれ!」『大森の郷』プロジェクトの始まり。
(画像左提供:大森の郷)
キーパーソンは、村役場を早期退職した平瀬肇万(ただかず)さん。そして、坂東玉三郎をはじめ、古くは白洲正子、司馬遼太郎等とも交流があったアメリカ人、アレックス・カー氏だ。
「最初はただ、自分の親戚の家を改修するだけのつもりだったんです。」 屈託なく平瀬さんは笑う。
それがカー氏と会って、わずか1年でリノベーションハウス『大森の郷』ができてしまった。経緯はこうだ。
平瀬さんが住む武蔵集落は、ご多分に漏れず若者が去り、商店のシャッターは閉まり、活気が失われていた。小学校は統廃合され、目の前の校舎はすっかり静まりかえった。「なんとかしなければ…」
その思いから平瀬さんは、ご近隣に声をかけ続けていく。そんな中で旧知の県職員から「ええ人、紹介してやるわ…」 といわれる。出会ったのが、アレックス・カー氏だ。
聞けばアメリカ出身で、父の仕事の都合で 1964年に初来日。71年、エール大学・日本学部在籍中に再来日。日本一周ヒッチハイクの旅に出る。その途上で日本三大秘境の1つ、徳島県祖谷(いや)と運命的な出会いを果たす。
(画像提供:大森の郷)
「日本のお城に住みたい」と子供のころ夢みた青年は、日本一深いとされる祖谷峡の奥に「これだ!」という自らの「城」を見つける。「長い間探し求めていた僕のお城は目の前にあったのです。」(アレックス・カー著『美しき日本の残像』より)
当時まだ学生だったカー氏は、知人から借金をして、茅葺屋根の空き家を購入。足繁く祖谷に通っては、コツコツと改修を続ける(当時、120坪の土地が38万円、家屋はタダだった)。それが今、世界中から旅行者が訪れる、秘境の郷・祖谷の『篪庵』(ちいおり)の原点となる。
そんな人が、自分たちと一緒に仕事をしてくれるのか…?
十津川村が、そんなふうになれるのか…?
誰もが疑心暗鬼だった。
それでも平瀬さんは望みをつなぐため、祖谷に足を運び、何度も部落集会を開き、住民の合意を取り付ける。そうして『大森の郷』プロジェクトは動きだす。
「なんとかしよう。“やろう、やろう!”と言っていたら、“お前がやれ!” と。もう、引っこみがつかなくなっていました。」 平瀬さんは振りかえる。
不安だらけの船出。アレックス・カー氏の伝える「日本の美」
「(徳島の祖谷峡と十津川村の武蔵集落に)共通点があるとは感じたけど、本当に自分たちに出来るのか……。 そりゃ不安だらけでしたよ」
そう言いながらも、持ち前の陽気さと行動力で、カー氏を集落に招き、着々と事業を進めていく。
「やっぱり、見るところが違うんですな。こっちが良かれと思ったことも、“そんなもん要りません!” と、ピシャリ(笑)。唯一、褒められたのは、ウチにあった古い一升徳利を置物として持ってきたときですね。このときだけは、“コレいいですね” って、はじめて褒められました」 と笑う。
紆余曲折はあったものの、振り返ってみれば、初めてカー氏に会ってからわずか1年で 『大森の郷』は完成していた。客間2間の、小さな古民家だが、集落に明かりが灯った。
カー氏が十津川村、『大森の郷』で大切にしたものは、なにか?
平瀬さんがいうように、「やっぱり、見るところが違うんですな」というのは分かる。でも、どこが、どう違うのか、明確に定義するのは難しい。
いわゆる「審美眼」「用の美」というもの。
古い家屋、かつての日本の暮らしには、当り前にあったもの。でも、今の生活からは消えてしまったもの。
たとえば、影。静寂。間(空間)。
夜、『大森の郷』にいると、虫の声が聴こえる。静寂がある。
暗い闇にはなにか在って、「なにもない」がある。
和紙をとおる柔らかい灯り。木の温もりもある。
十津川村の武蔵集落には、「長閑な田園風景に歴史の風が吹き込んでいる。修復された古民家で本を読み、書を綴り、ゆっくり “秘境” の空気に浸ってください。」
そんなメッセージをカー氏は 『大森の郷』 に寄せている。
もちろん、ただの懐古主義ではない。(現代的)快適さも放棄はしない。
1日の疲れは十津川特産の檜(ひのき)が香るお風呂が癒やしてくれるし、同じく地元木材をいかした椅子やテーブルなど、細部に意匠を凝らしている。
寒さが厳しい冬は、デンマーク製 スキャン社の薪ストーブがありがたい。
『大森の郷』ができて、集落に起きたこと。古民家ホテル、改修の注意点。
では、『大森の郷』ができて良いこと尽くめか?
注意点がありそうだ。
これほどの設備をそなえ、細部に気を配った古民家ホテルでも、村がどの都市からも遠く離れた秘境であるのは変わらない。
「行ってみたい!」「いいなぁ〜」と思っても、実際に行けるか、行くかは別問題だ。
アジア、アメリカ、ヨーロッパ… 世界各地から旅行者がくるようになったのは凄いが、それでも1年中満室がつづくわけではない。
今回、平瀬さんとの話をふまえ、『大森の郷』が今のような形で良かったと思う点を整理してみる。これはそのまま、他地域で「古民家ホテル/カフェ」をつくる際の注意点になると思う。
● わずか2間で良かった。
「せっかく作るんだから、立派なものを…」と考えがちだが、『大森の郷』はわずかに客室は2間だけ。補助金があれば、もっと大きな施設を作れたが、維持・管理費も膨大になる。「行きはよいよい、帰りは怖い」ならぬ、「作るのカンタン、あとが怖い」だ。
一般に施設を建ててから解体まで、ライフサイクル全体で見たときのコストは、建設費の4~5倍とされる。予算がついたから作っちゃえ、は危険なのだ。
● 地域住民がちょっとずつ、手伝いながら運営する。
コンパクトサイズで、毎日の清掃等も楽だから、近所のおばちゃんたちがパートでやりくりできる。(わずかでも小遣い稼ぎになる)
フルタイム社員ではないので、ホテル経営の大きな負担となる人件費(固定費)を抑えることになる。(= 継続経営が可能になり、予約に波があっても柔軟に対応)
● いきなり全てをガンバらない。
はじめにカー氏から沢山ダメ出しをされた。「今の状態を見たら、また怒られますな」と平瀬さんは笑う。
それでも100点でなくて良い。自分たちの「これなら出来る」をちょっとずつ増やしていく。
いきなりハードルを上げて、「オラには無理だ」と止めたら全てが終わる。
サービス業だからお客さんに甘えてはいけないが、ほどよい “ユルさ” は許容しよう。
そうしてこれまで、なんとか続けることが出来た。
常にフル稼働とはいかずとも、それがかえって地域に馴じむ要因になった。地元の人が行きかう道沿いにあるため、日中、窓を開けていると「どちらから?」なんて会話が生まれたりもする。
かつての縁側のようだ。
人が出会い、会話が生まれ、心が軽くなる。
寂しい集落に、ポツリ、ポツリと、明かりが灯る。
『大森の郷』という小さな点が、人をつなぐ線になり、地域住民が関わる面へ広がる。
楽しみながら、受け入れていく。
いきなり全てを求めないって、けっこう大事なことのようだ。
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