知らぬ土地を訪ねるというのは、行く前からワクワクするもの。今回の訪問先、福島県大玉村は高村光太郎の詩集『智恵子抄』で知られる妻・智恵子が、東京在住の折、何度もなんども恋い焦がれるほどに「ほんとの空が見たい」「阿多多羅(あだたら)山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空」といった、青い空が広がる『日本で最も美しい村』の1つだ。
どんな空が、人が、町並みが待っているのか。逸る気持ちを抑えて、国道4号線を北上していく。
ところが大玉村が近づくほどに、空がどんより灰色に変わる。生憎の曇り空だ。智恵子の「ほんとの 青い空」がない……。
しかも目的地「あだたらの里 直売所」は、交通量の多い国道4号線に面しており、沿線は工場やロードサイド店が立ち並ぶ “田舎でよく見る風景” ばかり。「日本で最も美しい村」の情景が、ない。内心かなりがっかりしながら、車を降りた。
元々あった直売所の隣に、待望の加工場 兼 食堂「お食事処 たまちゃん」がオープンした(平成30年5月)
そんなふさぎかけた気持ちが、店内に入ると徐々に晴れてくる。ちょうどこの日は、直売所の隣り「お食事処 たまちゃん」のプレオープン日。壁も床もピカピカだ。ただし、肝心なのはそこではない。“良いお店”はハコではなく、人の雰囲気がつくっている。それなしに、キレイな壁はむしろ寒々しい。
大玉村が新たに「村づくり株式会社」を設立する際、押山利一村長はこのことを良く理解されていたようだ。開業に先立って、二人の民間人をリクルートしている。地元精肉屋を経営していた鈴木誠一さんと郡山のスーパーに勤務していた矢吹吉信さん(44)。鈴木さんが社長に、矢吹さんが店長に就任し、「大玉村づくり株式会社」はその一歩を踏み出す。
きさくにインタビューに応じてくれた鈴木誠一社長(左)と矢吹吉信店長(右)
そもそもなぜ「村づくり株式会社」なのか? 村づくり会社をつくろうといっても、すぐに立ち上がるものではない。個人による民間企業とはわけが違う。村が“村をつくるための”株式会社をつくるのだ。
なぜ、既存店舗ではダメなのか?
どう違って、どのようにして実現するのか?
“実現する”のは、会社の設立ではない。もっと本質的な目的(=村の発展を築くこと)であり、経営を自立させることだ。そのための「株式会社」化という。議会・住民は納得するか? etc. etc…
議論は百出する。そのコンセンサスをとるだけで、ふつうは膨大な時間とエネルギー、内部調整が必要になる(そしてほとんどの場合、結局スタートを切れずに終わる……)。
余計なところにお金はかけない。できるところから1歩ずつ。ささやかな「おおたま村づくり株式会社」の看板が事務所入口にかかっている(左) お世辞にも「最も美しい」とはいえない、いかにも”ロードサイド的”な看板が国道4号沿いに立ってる(右)
大玉村の場合、5年以上前からそのための構想を描いてきた。当時、押山村長は村の教育長。福島市と郡山市の中間に位置し、昭和50年以降、人口が緩やかに増加しつづけるという全国的にも極めて稀なケースの大玉村だが、未来は決して楽観視できなかった。
「交通の便がいい」ということは、出ていく(流出)のも容易で、いつ転出超過に転ずるか分からないということ。外部要因に頼っていては危うい。内政重視で子育て世代の優遇策をとるも、いわゆる“人参作戦”では消耗戦になりかねない。
村に魅力が内包され、大玉村で暮らすこと自体が、誇らしく喜べるものにならなければ、発展は持続しない。村民の求心力・牽引役となる「核」が必要だ……。
「日本で最も美しい村」連合への加盟も、村の魅力を再確認し、そこに暮らすことが誇らしいと内外に(外よりもまず、中の人に向けて?)発信することが必要だったからともいえる。
ただ美しいだけではなく、「何を持って記憶されたい村であるのか?」 その本質が問われる。どうすればいい……? そんな相談を受けていたのが、当時、大玉村商工会 会長だった鈴木誠一さんだ。
村民の期待を背負い船出した「大玉村づくり株式会社」の社長・鈴木誠一さん
当然、簡単な話ではない。誰もが納得する「正解」はない。それでも手を打たずば、未来は拓けない。やるなら風向きが良いうちに限る。苦境になってからでは遅い。官民双方から有志が集い、議論を重ね、徐々にその輪郭が見えてくる。そのイメージは、こうだ。
直売所は、ただの販売施設ではなく、村の「人」「モノ」「魅力(情報)」が交差するコミュニティであり、憩いの場になる。同時にそれが来訪者にとっては、最高の村への案内口になる。いわば、村民と来訪者をつなぐ「ゲートウェイ」だ。
話としては、分かりやすい。きっと素晴らしいだろう。が、あくまでも “実現すれば” だ。言うは易し、行うは難し。大玉村が注目を集めるのは、ここから先があるからだ。絵に書いた餅に終わらせないため、アイデアを具現化させるスキーム(手法)をセットで実装した。それがすなわち「住民出資による株式会社化」である。
ただのアイデア出しではない、会社設立ありきでもない。具体的計画があった上で、その実現のためのスキームとしての株式会社化。これでいきたい。関係者は肚をくくった。あとは村民からの信を問うばかり。はたして村民は支持してくれるだろうか……? 不安をぬぐえずにいた。
店舗の先頭に立ってお店を切りもりする矢吹店長
「不安はありましたけど、村民説明会を開き、丁寧に説明し支援を求めたら、大勢の人がガンバロウって言ってくれました。」鈴木社長が明かす。そしていざ、出資受付を開始すると、予定していた1口3万円の株、計350株がアッと言う間に完売した。
「村の言葉でいうと、やってみっぺ、ガンバっペ ですね」矢吹店長が補足する。「どうなるか分からないけど、まずはやってみよう、ということです。大玉村の人は、助け合いの精神が強いと思います。」
「ただねぇ、なんぼ村長が株式会社化をしたいといっても、矢吹店長がいなかったら、実際には出来なかったと思いますよ」とは、鈴木社長。理念やアイデアがあっても、それを実践できる「現場力」がなければ計画倒れになる。逆に、現場にやる気があっても、トップがぐらついていては推進力は生まれない。その両方が備わることで、大玉村は大きな一歩を踏み出した。
ここから前年比売上150%の快進撃が始まる。