記憶を覚まし、記憶を刻む。過去と未来をつなぐ「アコルドゥ」(記憶) という名の料理店

東大寺 旧境内敷地内に、魅惑的なレストランがある… 昨年からよく耳にしていた。料理のおいしさや美しさはもちろんだが、なにか伝わってくるものが違うらしい。料理やシェフが、「オレが、オレが」と主張してくる “個性的な” お店はよくある。しかし、一見新しいのだけれど、どこか懐かしさをまとう、安心して食べさせてくれる料理店は少ない。
聞けば、世界で最も予約が取れない店の1つ、スペイン・バスク地方の「ムガリツ」にいたシェフが経営しているという。ミシュランと並びフランスで最も影響力のあるレストランガイド「ゴ・エ・ミヨ」 東京・北陸・瀬戸内版 2018 で「今年のシェフ賞」も受賞している。なぜ、そんな人が奈良にいるのか、興味があった。

シェフの名は、川島宙(ひろし)。「アコルドゥ」(スペイン語で「記憶」の意)という名のレストランだ。スペイン料理のお店と紹介されることもあるが、そういうとこのお店のことを正しくつかめないような気がする。独創性や技工を凝らした料理を売りにしているわけではないのだ。

比類ない歴史と文化をもつ奈良において、「記憶」を掲げるレストランを営業するシェフはどんな人なのか。どんな料理と体験に出会うのか? 期待に胸ふくらませ訪ねると、川島シェフは奈良の美しい風土とそこで暮らす人へのオマージュ(応援歌)ともいえる料理で迎えてくれた。

自分が今いる場所に目を向けること、心を向けることは大切じゃないですか?

ーー 最初にこんなことを聞くのも変ですが、なぜ奈良だったのでしょうか?出店の場所として、東京・大阪はもちろん、海外も選択肢としてあったと思いますが。

川島シェフ(以下、川島) それはよく聞かれますが、正直なところ、私は強く地産地消というものを意識しているわけでありません。

こういうと、今回の企画に対してあまり良い答えにならないかもしれませんが、どうしても奈良でやりたいから選んだというのではないのです。これは人生と一緒だと思います。たまたま奈良でお仕事をするご縁に恵まれた。妻の実家が奈良だったということもあります。ちょうど子どもが生まれた時期とも重なり、家族でどこで暮らそうか… と思ったとき、ここで生きていこうか… と。

そしていざ、奈良で生きていくに当たり、その土地で暮らす人たちに会い、食材に目を向けると、非常にすばらしいものがある。それらを自分の料理に使わせていただけばいい。無理して他所から仕入れる必要がないのです。地産地消といってしまうと、なんだかそれに縛られるような気がします。

ーー なるほど、奈良ありきではなく、自分の周り、足もとをよく見つめると、十分に素晴らしいぞと。

川島 たまたま自分が生きていく場所が、ここであって、その良い部分に目を向けることができた、と思っています。おそらくそれは、北海道であろうと、九州であろうと、同じではないでしょうか。ダメなところなど無いと思います。

良いところに目を向ければ、それぞれに魅力があり、価値がある。そこに心を向けられるかどうか、ではないでしょうか。そうでないと、自分自身が生きている場所を否定することになります。

「アコルドゥ」川島宙シェフ & 奥吉野 メニュー #1
 〜 葛城モッツァレラの葛 春の香りのピュレ 〜

葛城の牧場でできるモッツァレラとホエー(乳清)を一緒にミキシング。「吉野葛」を加えることで柔らかく、プリッとした食感の一品に。翡翠色に輝く春の象徴「春菊」のピューレと共に頂く。山々に春の草木が萌える(写真上)

 

「奈良の奥ゆかしさ、しみじみとした良さ」を伝える上で果たす役割

ーー これまで日本各地を巡ってきましたが、思いのほか外の人以上に中の人、住んでいる当事者が「うちの村には何もねぇ」と否定してしまうケースが多いと感じています。

川島 あぁ、なるほど。奈良でもそうですか?

ーー 今回は違います。昨日まで吉野町と十津川村にいましたが、彼らは逆に「ぼくたちは、伝えなければいけない」と明確に意識していました。特に若い世代は、その意識が顕著です。

川島 これはある意味、奈良の奥ゆかしさという美徳でもあるでしょうが、一般に奈良の人は自己主張が弱いといわれます。先日も富山のある有名なシェフグループがお店に来てくれたときに言っていました。「ぼくらは、奈良にシンパシー(親近感)を感じる」と。どういうことかというと、彼らはあるガイドブックで「北陸特集」として紹介されたのです。前年は「富山・金沢特集」だったのに。彼らはそれを非常に残念がっていました。「富山は富山、金沢は金沢だろう!」と。

奈良も「京都・奈良」という形で一緒に紹介されることがあります。独自の文化・魅力があるのに、他所の影に隠れてしまうことがある。特に食に関しては、京都は京都で1つの形をもっています。奈良が京都になる必要はありませんが、京都や他の町とはちがう「奈良のしみじみと滲み出すような良さ」を伝えていくことは重要だと思います。

それには、私たちのような人間が、外からの目で中を見る。そしてその魅力をお客さんに伝える、感じてもらうことは大切だと考えています。

制約があるから生まれる力がある。それをメッセージに変えて、届ける

川島  私がスペインのバスク地方にいたときの話ですが、例えばケーキ屋さんに行くと、5種類ぐらいしかケーキがない。どれがオススメかと訊くと、どれもオススメだという。実は自分のなかの1番のオススメがあるのにです。

私は最初、これはこの地方が貧しいからかなと思ったんです。出せるものが少ないのですから。でもよく知るとそうではなくて、いろいろあるけどこの5種類が良いからここに行き着いた。淘汰された末の5種類ということを知りました。

そう気づいてからは、私はこれはとても幸せなことではないかと思うようになりました。自分たちが必要なもの、本当に愛しているものが何か、目に見える中で暮らしているのですから

日本に帰ってくると、逆に物があり過ぎる。ありがたみが薄れているように感じます。限られたものしかないことが、いかに幸せなことか。自分たちにとって何がごちそうなのか考えること、感じることが、実は幸せにつながっているのではないでしょうか。

ーー その土地の良いところに気づく、心を向けるということと通じますね。

川島  私たちはただ食材を調理して出せばいいのではありません。こういう生産者の方が、こんな環境でつくったものなんだよ、ということを一緒に届ける仕事をしていると思っています。料理の裏にあるもの、その土地や人のバックボーンにあるものを、きちんと伝えなきゃいけない。

その意思がないと、野菜をつくっている人はただ野菜をつくる人で終わってしまうし、料理人はただ調理すればいい人になる。意思のないものは、絶対に伝わらない

「アコルドゥ」川島宙シェフ & 奥吉野 メニュー #2
 〜 野迫川のアマゴ 燻された雲海とその下に生きるモノ 〜

霊峰と呼ばれる奥吉野の山々にはしばしば雲海が立ちこめる。その下を山から湧き出た清流が流れ、「清流の女王」アマゴがきらめく。野迫川のふちにはフェンネルなどのハーブと花々が芽吹く。そんな奥吉野の神秘的な自然を閉じ込め、表現した一品。アマゴ(天女魚)は甘いリンゴのバルサミコ(果実酢)で軽く炙ってある(写真上)

 

甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、そして「人間味」

ーー つくり手の思いや産地の物語を届けるという点では、生産者と消費者の間にいる流通(事業者)も果たす役目があるように感じます。

川島 私は料理を4つに分けて考えています。1つは、生きるための糧。食料としての料理。 2つ目は、美食。うまいものが食べたいということ。 3つ目が、愛情としての料理。これは家庭料理ともいえます。 そして4つ目は、芸術としての料理。

おそらく市場で目利き人(セリ人)と呼ばれる人が見るのは、最初の2つではないでしょうか。食料・食材としてと、美味いかうまくないか。私たち料理人は、4つ全てに当てはまらないとダメだと思っています。空腹が満たされればいいではない。うまければいいでもダメ。

愛情のある料理とは、根本は家庭料理だと思います。ということは、そこに風土が感じられなければなりません。生まれ育った場所は違えど、海や山、田んぼでの経験や情景を皆、記憶の中に持っています。家庭の味はその記憶と共にある。ならば、その風土を思い起こすことで、懐かしさや優しさを伴う愛情ある料理を味わうことができます。

ーー 風土を投影することで、感情を共有・共感しているのですね。

川島 料理のつくり手である私たちは、そこをどう感じとり、伝えていけるかがポイントです。自分は何に対して、優しさや懐かしさを感じるか。まず自分が感じとれないと、人に伝えることなどできません。人間味がない料理は、ただの食糧であり、うまいもんで終わってしまいます。

人の味覚5味は、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味ですが、そこに「人間味」が加わっていないと、先の4要素全てを満たす料理になりません。
心が入っていないと、ただの食事になってしまうのです。

 

「アコルドゥ」川島宙シェフ & 奥吉野 メニュー #3
 〜 五條イノシシのアロス ミント風味 〜

春先の山々を生命力あふれるイノシシが駆け巡る。ここ奈良南部は豊かな森と水に恵まれた米の名産地。名水育ちのお米と大和伝統野菜「大和まな」のリゾットを新緑の山に見立て、低温でゆっくりとほぐれるほどに蒸したイノシシと共にいただく。春薫る爽やかさとイノシシの重厚感が見事にマッチした一品(写真上)

人間としての成熟が、料理を、そして暮らしを変える

ーー 1つ疑問なのですが、なぜ日本のシェフは、若いときは修行と称して、好んでフランスやイタリアの田舎にあるレストランにいくのに、帰国すると皆、東京や大阪などの大都市に集中するのでしょう?マーケットが大きいのは分かりますが、地方の風土あればこその料理と学んできたのではないのですか?

川島 私がスペインのバスク地方に行ったのは、34才のときです。もう結婚もし、子どももいました。店主は私とほぼ同じくらいの年齢でしたが、周りで働いているのは、20才そこそこの若い子ばかりでした。

彼らが何を見ているかというと、カッコいい、スタイリッシュだ、香りがいい、とかそんなことばかりです。私はそれを見て、彼らは料理の何を得ているんだと思っていました。そんなものは技術さえあれば、いくらでもマネできます。

「スペインの料理は、大丈夫なのか?」と、ある日、店主に訊いたんです。そしたらこう答えました。「大丈夫だ。10人に 1〜2人でも、ポツポツとでいい。料理の意味の深さ、背後にあるものを感じ取れる奴が出てくれば」。皆がみな理解できなくてもいいんです。少しでもいれば、あとは彼らが牽引していくと。

バスクの人たちは、「侘び・寂び」(わび・さび)が分かる人たちです。迫害されてきた歴史をもつ人ですから。ものの有り難さを知っている。そうした経験、人間としての成熟を経て、理解できること、伝えられることがあるのだと思います。

日本も最近は変わってきています。東京のトップシェフも地元に帰ったりしています。お客様の側もつくり手のメッセージや想いを受け取って下さる。むしろそれを求め、期待して下さっているのも感じます。

「アコルドゥ」川島宙シェフ & 奥吉野 メニュー #4
 〜 人参のブランマンジェと曽爾の黒ビール 〜

「若い人参の香りと甘みがサア〜っと広がる料理をずっと作りたいと思っていた」と川島シェフ。そのイメージを曽爾村の黒ビールと合わせることで見事に具現化したのがこのデザート。ほろ苦いキャラメルの上に強く伸びようとするニンジンとほのかに薫る柑橘(ハッサク)の香りが、春を感じさせる(写真上)

 

「おいしいものの原点は、その土地にあり。その体験をぜひ広げて欲しい」(料理人・川島宙)

今回の「アコルドゥ」川島シェフへのインタビューは、奈良県にある「日本で最も美しい村」3町村(吉野町、十津川村、曽爾村)への現地取材に合わせて行われた。シェフは3町村の風土、文化、つくり手を熟慮した末、4品の料理を考案して下さった。

いずれもシェフご自身が説明してくれた「4つの料理」(生きるための糧/美食/愛情/芸術)に適ったものだ。東大寺すぐ脇のお店を拠点としつつ、広く奈良を、日本を見てご自身のメッセージを発しているのがよく分かった。最後に「この地域の方々、生産者を含む住民の方々に、なにかメッセージを頂けませんか」と訊ねたところ、このような答えが返ってきた。

「おいしいものの原点はその土地にあるので、
ぜひそのポテンシャル(魅力、潜在力)を広げる、食べる体験をして頂きたい」

それは、そこに暮らす住民自身はもちろんだが、来訪者にも伝えること、知ってもらうことが、その土地の魅力をより一層深めるということだ。

奈良に限らず、それは北海道でも、九州でも、同じことがいえるのだろう。
そんな想いを共有できる人が増えれば、きっと日本の地方はもっと魅力溢れる場所になるに違いない。そしてそこに住むこと、訪ねることがより一層楽しく、幸せを感じられるものになると感じた。

川島シェフをはじめ、当取材にご協力くださった奈良県内の全ての方々にあらためて深くお礼申し上げます。ありがとうございました。

 「akordu」(アコルドゥ)
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