金峯山寺 蔵王権現のもとに多士済々が集う。人を引き寄せつづける吉野町の魅力

西行、芭蕉、吉川英治、小林秀雄、谷崎潤一郎… 数え上げたらキリがない。ここ吉野に惹かれ、「まだ見ぬ花の奥をたづねむ」と、この山にわけ入った人たちだ。
何がそれほどに、彼らをこの地に引き寄せたのか… なにも千本桜だけではあるまい。

「私が下手な解説をするまでもないが、地理的にも、歴史的にも、近くて遠い吉野山には、何か日本のふる里といったような感じがあり、それが私たちを招く。花見酒に酔う人たちも、無意識にそういうことを感じているのではないだろうか」
そう書いたのは、白洲正子だ。

「まだ見ぬ花」をたずねて吉野に入った彼らは皆、「たしかに何かをつかんで帰った」と白洲はいう。そして自身も「吉野にはまた行きたい。吉野の山が呼んでいる」と綴る。
そうまで言われれば、もう行くしかあるまい。でも、行って、何も感じず、何もつかめず、自分の浅学ぶりを確認するだけになったらどうしよう…
そんなことを秘かに怖れていたが、杞憂だった。老いも若きも多士済々。自分の想い、信念を縷々語ってくれた。「ぼくたちは、伝えなければいけない」。滞在中、何度も耳にした言葉だ。

あなたの命を「いただきます」ということ。生かされていることに正対する「ジビエそば&ラーメン」

「日本の魅力は、ローカル(地方)にこそあり。」 そう思い、地方を巡る旅に出ようとしたとき、守りたいと思うルールがあった。

いろんな人に会うだろう。いろんな暮らしを見るだろう。美味しいものも食べるだろう。そのとき、目の前のものを、まずは素直に受け入れよう。「あっちの方が良いよね」「あそこのはもっと甘いよね…」 つい他者と比較してしまう。批評家になる。

なぜ、素直に目の前のものに「いただきます」といえないか。そんな反省があった。

地産地消がどう、栄養価がどう、カロリーは…? どうでも良いとはいわない。ただ、まずは目の前の人と、目の前の料理を、一緒に時間を共有できることを、感謝し楽しもう。

「いただきます」とは、「あなたの命を(今から)私の命にかえさせていただきます、という言葉です。」 そういったのは、永六輔さんだった。だから礼をいう、感謝の気持ちを表す。

それをまさに、眼前に突きつけられたのは、蔵王堂にほど近い「矢的庵(やまとあん)」でジビエラーメンを啜(すす)っていたときだ。体の中からカッカと熱くなってきたそのとき、猟師の下中一平さんがいった。

「ちょうど昨日、イノシシを撃ちました。見ますか?」

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100年来の蔵付き酵母が、少しずつ少しずつ。1年かけて醸す「宮滝醤油」が問う、本物とは?

大手メーカー製品から小さな村の醸造所のものまで、全国各地にいろいろな醤油がある。買うときに何を見て、どこまでこだわるか。ズラリ並んだスーパーの棚の前で、消費者は迷う。つくり手も迷っている。

料理の「つま」よろしく、醤油ももう自分では買わない人が珍しくなくなった。家で料理をしないのだ。出来合い品には「しょうゆ」が付いてくる。文字どおり精魂こめ、1年もの歳月をかけて作り出した醤油との違いに、果たして食べる人は気づいてくれるだろうか? つくり手も迷っている。

かつて万葉に詠われた「吉野離宮」のあった地に、梅谷清嗣さん・清二さん兄弟が営む「梅谷醸造元」がある。わずか5人ほどで、明治の代からつづく昔づくりの醤油と味噌を受け継いでいる。

「蔵つき酵母が、うちの味そのものですわ」、清嗣さんがいう。受け継いだのは蔵だけでなく、そこに100余年かけて棲みついた酵母もだ。その蔵つき酵母が、醤油の旨みをつくる。蔵を“工場”にしたとき、蔵つき酵母はもう居ない。

「今は危機やけど、ある意味なんでもありで面白い。昔やったら“規範”があったでしょ。こうせなあかん、という。今はそれが良いか悪いかはともかく無くなって、やりたいことは何でもやれる。

でも、そのとき“本物”がないと。中身あってこそでしょ。本物が何か、というのがまた難しいんですけどね」、と清嗣さんは笑った。

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「賞味期限は10分です。」ここに来なければ食べられない、本物の「吉野本葛」を学び、食す、世界に1つの葛道場

土地の名称と料理(食材)の名称が同じになった例はいくつかある。「吉野葛」もその1つだ。葛もちや葛きり、あるいは単に「葛(粉)」といった方が、馴じみ深い人もあるだろう。それが葛の木の「根っこ」からできることを知る人は、意外と少ない。

「せっかく来たんだから、学びが要りませんか?僕たちは物語を売らないと(伝えないと)いけない」。そういって中井春風堂の店主・中井孝嘉さんは、まるで噺(はなし)家さんのように流麗に説明しはじめた。

葛の木の根にあるデンプンを抽出し、固めたものが「葛」。粉状にしたものが「葛粉」。葛の根100%でつくったものが「吉野本葛」。サツマイモ等他の甘藷デンプンを混ぜたものが「吉野葛」。これは美味い・不味いの違いではない。用途によって使い分ける。

カウンター越しに見る中井さんが「葛道場」の先生に見えてくる。

「実技」がはじまる。手際よく葛粉と水を混ぜ合わせ、「いいですか、一瞬ですよ。写真を撮るなら、逃さないでくださいね」。そういって、湯の中に浸けると、突然全てが消えた。

「これを糊化(こか)といいます」。消えたのではない。一瞬で透明になり、見えなくなったのだ。冷めるとまた、白くその姿を現す。透明で滑らかな状態が、1番うまい。

その時間、わずか10分。「だから賞味期限10分です」。
最高の状態の葛きりを、黒蜜ときなこで頂く。その美味しさは…

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「日本で最も美しい村」から世界に発信 〜 国栖(くず)の里に伝わる「おふくろの味」

前日まで晴れていた。朝起きて、戸を開けると、当たり一面銀世界。「日本で最も美しい村」の1つ、吉野町はうっすら雪化粧をして私たちを迎えてくれた。

権現堂と並び、吉野町の「最も美しい」場所として紹介されることの多い国栖地区に来たとき、「この集落は昔、大海人皇子(後の天智天皇)が敵の追っ手から逃れ、舟の下に隠れたときに…」 同行の村の方が説明してくれた。

犬が舟の周りで吠えて、皇子が見つかりそうになったため、村人が犬を殺し皇子を救ったという。以来、この地区で犬を飼う人はいない(それは今なお続き、神社の狛犬さえない)。その話は興味深いが、なにしろ大海人皇子だ。

中学校の歴史の授業で聞いて以来のような気がする。「あそこは江戸時代から続く老舗で…」などと耳にすることがあるが、時代が違う。吉野では歴史や文化、ことごとくがその厚み、深みにおいてスケールが違う。

それをサラリと、ふつうの人が当たり前に語れることがポイントだ。「僕たちは物語を伝えなきゃいけないんです」。吉野葛・中井さんの言葉が思い出される。

そんな土地の“ふつうの人”がつくる郷土料理とは、どんなものか? 道の駅にお惣菜などを出品している「燦・産・参」(通称:ハツラツグループ!) 代表の桝谷スマ子さんを訪ねた。

もともと小学校の先生だった桝谷さん。退職後、「家でジッとしてても退屈してしまうでしょ」と、友人に呼びかけ手料理を製造・販売しはじめた。「最初はストーブを炊く経費も賄えなくて」と笑う。

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文豪・谷崎潤一郎が愛した吉野の味「柿の葉ずし」&「日本一の手みやげ」甘酒部門 第1位の甘酒

先だっても新聞記者が来て何か変った旨い料理の話をしろと云うから、吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った。(中略) 鮭の脂と塩気とがいい塩梅に飯に滲み込んで、鮭は却って生身のように柔かくなっている工合が何とも云えない。

東京の握り鮨とは格別な味で、私などにはこの方が口に合うので、今年の夏はこればかり食べて暮らした。

美食家としても知られた谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で「柿の葉ずし」について触れた一節だ。

これにより吉野の郷土料理「柿の葉ずし」は、一躍全国区の知名度を得て、通を唸らせる美味として広がっていく。

このこと自体を知る人は多くとも、谷崎の文が以下のように続くことを知る人は少ない。

それにつけてもこんな塩鮭の食べかたもあったのかと、物資に乏しい山家の人の発明に感心したが、そう云ういろいろの郷土の料理を聞いてみると、現代では都会の人より田舎の人の味覚の方がよっぽど確かで、ある意味でわれわれの想像も及ばぬ贅沢をしている。

もう半世紀近く前の記述だ。「ある意味でわれわれの想像も及ばぬ贅沢をしている」。今はどうか。その差はむしろ開いてはいないか?

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