秘境・十津川! 断崖の先に広がる天空の田園、崖の上の古民家カフェ、そして長寿食!?
日本で最も広大な面積を有する村・奈良県 十津川。奈良市内から村の中心地まで、車でおよそ3時間。ようやく十津川到着と思いきや、景勝地「瀞峡(瀞ホテル)」まではさらに1時間近いドライブが必要となる。
秘境とは聞いていたが、一体どこまで遠いのか… もしかすると、東京から最も遠い(移動時間がかかる)場所かもしれない。しかも、村内の道のほとんどは、「お願い、対向車こないで!」と祈りながら走らざるを得ないような狭隘なもの。
山間の谷に集落があるというより、谷を削り取るようにして道ができ、そこにへばりつくように民家が建てられた。そう思えるほど平地が少ない。常に山に挟まれているような感覚だ。
それほど険しい、辺境の地なればこそ、かつては免租地(税を免除される)として、藩に頼らない自主独立の気風が培われた。その地理的、文化的要因ゆえに、今なお各所に絶景スポットが残り、「秘境マニア」には堪らない聖地となっている。2004年には、果無(はてなし)集落を通る参拝道「小辺路」が「ユネスコ世界遺産」に認定。キリスト教の聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」(スペイン)と並び、世界に2つしかない「道」としての世界遺産として名を馳せる。
実写版「千と千尋の神隠し」!? 崖の上の古民家カフェ「瀞ホテル」は、初めてなのになぜか懐かしい
果てしなく遠い。それでも行く価値がある。
そう思い、車を運転し続けた。そしてついに到着した「瀞峡(どろきょう)」は、それまでの難路・隘路を忘れさせるほど圧巻の、まさに息を呑む山紫水明の地であった。
急峻な崖底を流れる川の色が、碧く、深い。着いたのが日中の陽射しが明るい時間だったから良かったものの、もしこれが早朝の朝霧に霞むときや、宵闇の静まりかえった時刻なら、足がすくんでいただろう。
かつてこの渓谷には、竜が潜んでいた… そういわれても「そりゃそうでしょう…」と頷くしかないほど、この地の自然は超然として、雑念を忘れさせる。
そんな渓谷を見下ろす崖の上に、楼閣がある。「瀞ホテル」という。
ホテルといっても、今はもう宿泊施設ではない。週末ランチのみの軽食・喫茶として営業をつづけている。創業者から4代目にあたる、うら若き東さんご夫婦が切りもりする現役のカフェである。
「ぼくが子どもの頃までは、旅館としても営業していました。山で伐った木材を、この川の流れにのせて輸送する“筏(いかだ)士”たちがここには沢山いて、その人たちに食事や宿を提供するのが、うちの役目でした」と東さん。
北山川を見下ろす崖の上に「瀞ホテル」が立つのは、その名残りなのだ。施設の老朽化と筏師の減少に伴い、ホテルとしての営業は中止したが、「いずれ宿泊施設としても復活したい」と東さんの思いは膨らむ。
山のなかで採るホタテ!? その正体は… 圧巻の「秘境キノコ」
十津川村で目にするものは、何もかも霞がかって神秘的に映る。
「この先に、ちょっと変わったキノコをつくる人がいます」。そう案内されて、訪ねた先で見たのは、まさに異境でしか育たんだろう… と思うほど、およそキノコのイメージとは相容れぬ、異郷のキノコだった。
とにかく異様に大きい。ジャンボマッシュルームとか、ジャンボ椎茸とか呼んで地場産キノコを売り出している地域は他にあるけれど、ここ上湯川地区で岡本さん達がつくるキノコほど目を瞠るものにはお目にかかれない。
「よそはほとんどが、80日〜85日で収穫する促成栽培でしょ。うちは広葉樹をつかってじっくり120〜130日かけて旨みを熟成させています」と、代表の岡本さんが説明してくれた。
つまり、本当にスゴいのは、大きさではないのだ。食材として最も肝心な「おいしさ」が備わらなければ、意味がない。そのおいしさを追求し、水と空気が清澄なこの地で栽培すると、こんな“お化けキノコ”が出来てしまうということだ。
あまりに立派なので、エリンギの軸を輪切りして、隠し包丁を入れ、オリーブオイルでサッと炒めると、こんがりきつね色の「ホタテの貝柱焼き」にしか見えない料理ができた。
長寿の国の食べもの見聞録 〜 その壱 「ゆうべし(柚子釜)」
『伝統食礼讃 〜 長寿の国の食べもの見聞録』(陸田幸枝・著)という本が、手元にある。全国の“長寿の国の食べもの”を書き記したものだが、その巻頭、真っ先に登場するのが「十津川村のゆうべし」である。
「ゆべし」と聞いて関東人の多くがイメージするのはおそらく、長野や岩手の郷土菓子・ゆべしだろう。モチモチとした衣の中に餡子が入った和菓子だが、十津川村のゆうべし(「ゆべし」より「ゆうべし」の方が、地元の言葉に近いそうだ)は、まるで違う。
ユズ、味噌、そば粉、かつお節、唐辛子、ゴマ、ピーナッツ、酒… かなり刺激の強い、滋味溢れる食材が原材料だ。ユズの皮を残したまま、中の果肉だけをくりぬき、その他材料をねり合せたものを中につめる。しっかりと中に詰めこんだら、再びユズの軸(頭頂)の部分をフタのようにかぶせる。その姿がちょうど釜のようなので、「柚子釜」とも呼ぶ。
その釜をおよそ3時間、蒸し器の中で蒸し、熱を冷ましたら、ひも(ネット)につるして寒風にさらす。3ヶ月ほどしっかりと干したら「ゆうべし」の完成だ。
冬の寒さが厳しいこの地ならではの保存食であり、滋養強壮の効果からか熊野古道や高野山をつなぐ奥駈の道をいく修験者の食料にも用いられたという。
この「ゆうべし」を作る生産団体もまた、秘境と呼ぶに相応しい場所にある。生活用つり橋として日本一長い「谷瀬の吊り橋」 297.7m(川面からの高さ54m!)を渡った先、谷瀬集落だ。
世界遺産・小辺路脇にたたずむ「天空の里・果無」(はてなし) は、文字どおり果てし無く遠く、神秘的
「なんで、こんなところまで上って(逃げて)こなければ、いけなかったのだろう…」
道中、何度もそう思った。「もうここらで良いだろう…」 そう思える場所は、途中にいくつもあったのに、ついにこれほど遥かな山の上にまでたどり着いてしまった。
平家落人伝説は西日本各地にあるが、山をいくつも上り、また下り、谷を渡り、それでもまだ「ここではない、もっと遠く」へ歩み続けなければいけなかったのか。
本当に果てしない、もう地上の行き止まりかと思える山の上に、ようやく人は自ら住むことを許した。そこが文字通り「果無(はてなし)」と呼ばれる里である。
今もその地に、住みつづける人がいる。自分の家の軒先の小路が、今や「世界遺産」として、世界中の人たちに知られる。誰にも知られない、見つからない場所を目指して行き着いた土地が、世界中に知れわたる“遺産”の1つになっている。故人が知ったら、どう思うだろうか…
まさに、「ローカルを突き詰めると、グローバルになる」 を地で行くような話だ。
およそ「世界遺産」のイメージとはほど遠い、ふつうに洗濯物が干されている民家の軒先を通ると、すぐに森閑とした山に入る。とても不思議な感覚だ。世界遺産は多々あれど、こんなにも日常と非日常が同居する“生きた遺産”は、そうは無いのではないか。
その路を往くと、また不思議なものに出会う。観音様だ。
世界に通じる宿とは?アレックス・カー氏と考える 「日本の美」 〜 In Search of Japan's Beauty
「何度もダメ出しされました」と、屈託なく管理人の平瀬さんは笑った。
若者が去り、商店のシャッターが閉まり、地域に活気が失われていく。「なんとかしなければ…」 そう思い武蔵地区に住む平瀬さんは、周囲の人たちに声をかけ続けてきた。
「やろう、やろう と言っていたら、お前がやれ!と…」
呼びかけた手前、引くに引けず、ボロボロの空き家になっていた旧職員住宅を改修して宿泊施設としてリニューアルオープンすることになる。
そのときアイデアを出し、陣頭指揮をとってくれたのが、『美しき日本の残像』著者であり、ここ十津川村の景観と風土を愛するアレックス・カー氏だった。
「1ヶ月おきに部落集会を開き、皆に集まってもらって協議を重ねました。アレックスさんが住み、住民と一緒に再生したという徳島県の祖谷集落も見に行きました。共通点があると感じたけど、本当に自分たちに出来るのか…… そりゃ不安だらけでしたよ」
そう言いながらも、持ち前の陽気さと行動力で、アレックス氏との初対面から僅か1年で事業は大きく動き出す。
「やっぱり、見るところが違うんですな。こっちが良かれと思ってやったことも、そんなもの要りません!と、ピシャリ(笑)。唯一、誉められたのは、ウチにあった古い一升徳利を持ってきたときですね。このときだけは、コレいいですねって、初めて誉められました」と笑う。
そうして完成した古民家宿泊施設「大森の郷」は今、県外はもちろん、外国からのお客さまも招き入れる地域の拠点として根づき始めている。
でも何故、これほどに地方の減退に悩み、足踏みする地域が多い中、平瀬さんたちは、前に一歩進むことができたのだろうか…?
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