出雲大社
出雲大社

出雲を舞台に神との戯れなどと書くと、ずいぶん堅苦しく聞こえるかもしれませんが、なにもムズカシイ話をしたい訳じゃありません。美しい里を求め、心踊る食の風景を探したら、奥出雲の小さな里にたどり着いてしまった。その森のざわめき、水のせせらぎ、民家の暗がりになにかあると感じ、そう書いてみたのです。

その呼び方が良いかはいずれ分かるとして、これから紹介する里や人の暮らしはきっと、心に響くものがあると思います。どこにもありそうなのに、もう出会えなくなった景色。身近にあっても気づかずにいたもの。そんな発見がきっとある 出雲・石見銀山の旅へようこそ。

スモークハウス 白南風
スモークハウス 白南風

今回の旅の目的地は奥出雲、石見銀山の小さな集落。ただその前に、せっかく出雲まで来たのだから、どこか寄り道すべき所はないだろうか。大事なものの中心へ いきなり入ってはいけない。そんな話を聞いたこともある。そう思って訪ねた先は、出雲大社からわずか5分の住宅地。

車を降りた途端、薫風が鼻先をかすめる。家の外にまで薫りが漂いだしている。同行したフランス人の料理家が「すごくいい薫り」とさっそく反応している。煙っぽいのとは違う。うっとり微睡(まどろ)みを誘うような燻香。

入口脇の看板には「Original Smoke 人間の原初の火を焚きなさい」と彫られている。なにやら最初から意味深な予感……。 命(魚・肉)の力を 火と木だけで引きだす燻製(くんせい)づくりの名手に出会った。1日のほとんどを、炎と向き合い、会話している。

原木の炎
 

「燻製づくりの名手・青木章さん」に続く

石見銀山 大森集落
石見銀山 大森集落

出雲を出て、日本海沿いを西へ向かう。途中から海を背にして、山の奥へと進んでいく。うっそうと茂る森のなかに 石見銀山 大森集落 は現れる。かつて世界屈指の銀産出量を誇り、20万人もの人が暮らしたとされる地はいま、人口400人ほどの集落となりひっそり佇んでいる。

少子高齢化、過疎化が進み、活気が失われているかと思いきや、全くそんなことはない。今年は保育園の園児数が20人を超し、ついにここでも待機児童が問題化か!? と話題になるほどのベビーブーム(?)に沸いている。

一体なにが起きているのか? その秘密は、この町の美しさと切り離しては語れない。

石見銀山 群言堂
石見銀山 群言堂

この町へ入るには、橋を渡らねばならない。後ろは山。前に川が流れ、周囲は森に囲まれている。集落全体が、水の上のゆりかごのように、つねに水が鳴っている。

幸福学という学問があるが、最近の報告によると川辺に棲む人の幸福実感度は、他地域に暮らす人よりおしなべて高いそうだ。真偽のほどはともかく、辺りが静寂に包まれた夜、自動車の騒音も、家電製品の音すらもなく、ただ水のせせらぎだけが響くなか眠りに落ちていくと、そのレポートも信頼できる気がしてくる。

「石見銀山 大森集落の不思議」に続く

石見銀山 大森集落
石見銀山 大森集落

この町の魅力は多々あれど、その1つは集落全体の端正な美しさだろう。どの家屋も個性的で、ひとつとして同じでないけれど、調和している。1軒では生み出せない佇まいを醸成している。

そんな家屋のなかへ、風が吹きこむ。この町は保存のために生活を犠牲にしていない。むしろ暮らしながら、楽しんでいるように見える。どの家でも人は飯を炊き、“ふつうの暮らし” を続けてる。きれいな景観保護区は他所にもあるが、多くはまるで映画のロケセットのように中は空っぽで、生活臭がまるでない。

ここでは風が吹き抜け、人の気配、暮らしのにおいを運ぶ。五感が刺激されるのが心地よい。それだけふだん使わなくなっているせいだろうか、身体が喜んでいる。橋を渡り、門をくぐる。間口をまたぐ。ちょっとずつ近づいていく。

他郷阿部家

石見銀山 他郷阿部家
石見銀山 他郷阿部家

ここ石見銀山 大森集落の『暮らす宿 他郷阿部家』の食事は、「郷土料理でなくて家庭料理」と家主の松場登美さんはいう。日本の家庭でつくられてきた料理。そこに手を加え、丁寧にこしらえることで、来訪者を歓待するにふさわしい食卓が生まれた。

国内の一流料亭・レストランはおろか、世界各地の美食を食べてきたフランスの料理家が「これはもはや家庭料理ではない!」と感嘆している。この日は、パリ、ロンドン、西安、東京、そして地元・大森の人たちがいっしょに食卓を囲んでいる。初対面の者同士、いつになく饒舌で、会話の華が咲く。場の力が作用しているのは間違いない。

他郷阿部家の守り神

料理自体の見事さはあるが、それだけでこれほど心は動かない。食卓を囲み、団欒があるから、心から笑い楽しんでいる。「うちの村にはなにも無い」。地方に行くとよく聞く言葉だが、火 木 水 土 空(風)。都会よりはるかに豊富だ。あとはどれほど丁寧に手を入れるか。それが1番難しいのかもしれないけれど。

時代からとり残されたかのような人口約400人の集落に、世界中から人が集まり、満たされて帰っていく。その理由を考える価値は、とても大きいと思うのだがどうだろう。

「暮らす宿 他郷阿部家の風景」に続く

他郷阿部家 暮らし紡ぎ
他郷阿部家 暮らし紡ぎ

「家は使っていないと傷む」。昔からよく言われることだけど、その逆も真なり。丁寧に手を入れられていると、家は元気になっていく。空き家になり朽ち果てようとしていたこの家は、現在の家主・松場大吉・登美夫婦が買い取り、住みながら手入れしてきた。「待っててね。今、元気にしてあげる」。家にそう話しかけ、10年もの刻をかけ少しずつ修繕していった。

すっかり息を吹き返した家は今、『暮らす宿 他郷阿部家』として来訪者をもてなしている。心やすまる時間を生んでいるのは、この宿の若き「暮らし紡ぎ係」さんたち。この人たちの力なくして、心踊る時間は生まれない。人あっての家。丁寧な暮らしが、どう紡がれているのか、ちょっとだけ教えてもらった。

石見銀山 他郷阿部家

料理人 ドミニク・コルビ 石見銀山で 小さな神さまたちと遊ぶ

今回の旅には、大森集落を訪ねる他にもう1つ、大きな目的があった。「イタリアン マンマの味 とか フランス ブルターニュ地方のお菓子 と聞くとすぐ、おいしそうと思ってしまう(行ったこともないのに!)。でも日本の田舎料理と聞くと、地味で後向きな印象を持つ人が多いのはなぜだろう?」 たくさんの人がわざわざお金と時間をかけてフランスやイタリアの地方へ行く。「田舎がすばらしい!」と声を上げるのに、日本の田舎は寂れるばかり。

ズバリ、「日本の田舎はそんなにダサく、恥ずかしいですか?」 そんなことはないと反論もし、最近のUターンや一部道の駅の活況を挙げてみても、人口数百人の田舎にポツンと三ツ星レストランがあり、文化も経済も潤している仏・伊の町並みを見ると、彼我の差を認めざるを得ない。食材も食文化も、日本の田舎が欧州の田舎に劣るわけでは決してない。それなのに、この差はなんなのか?

石見銀山 他郷阿部家のおくどさん

ならば… と、フランスの田舎もイタリアのローカルフードも、十二分に熟知した人の力を借りよう。私たちが美しいと思う日本の景色や歳時記は、一流を知る人の目にどう映るのか?

「日本の美と美味を探す旅? それなら私も行く」。そういって、主旨に賛同してくれたのは、フランス・パリ出身の料理人、ドミニク・コルビ 氏。15才で料理の世界へ入り、若干26才で1582年創業のパリの名店「ラ・トゥール・ダルジャン」副料理長に就任。29才(1994年)のときに同 東京店(ホテルニューオータニ東京内)エグゼクティブシェフとして来日。以降、現在まで25年に渡り、日本各地の料理人・生産者と交流を深める日本フランス料理界の重鎮です。

フレンチ割烹 ドミニク・コルビ

コルビ氏の目に「日本の田舎」はどう映るのか? パリ、東京をはじめ世界各地の美食を知るシェフに「日本の家庭料理」は所詮 “田舎の料理” にすぎないのか?「フランスの家庭料理」はどう受け継がれているか?

「日本でまだ行っていない県は、島根と鳥取だけ」というシェフだから、たくさん “田舎” は見てきたろう。高級割烹や宴席も数えられぬほど経験している。けれども、日本の「家庭の味」、「家庭の団欒」は “未体験ゾーン” に違いない。当の日本人でさえ、探しても見つけにくくなっているのだから。

欲せざれば届かず。まずは、いってみましょう。そんな思いで始まった「日本の魅力 再発見の旅」は、おもわぬ方向へ進んでいきます……。
 

「フレンチ割烹 ドミニク・コルビ 阿部家に出会う」へ続く

 
石見銀山 大森集落

(つづく)