出雲大社近くの燻製(くんせい)屋「スモークハウス 白南風」(しらはえ)を後にして、石見銀山・大森集落へ向かう。出立時、工房主の青木章さんに、大森町の「他郷 阿部家」へ行くと伝えると、こんな返事が返ってきた。「あそこに行くの! あれゃ、江戸時代みたいなところだ」。
白南風さんもかなり「タイムスリップ感」(時代超越感!?)があるのだけど、その青木さんがそこまでいう? それほどにフツウじゃない場所なのだろうか…
出雲から日本海沿いを西へ約1時間。その後、海を背にして、山の中を30分ほど車で走る。そこまでは地方都市によくある景色。ロードサイド店、パチンコ屋、コンビニ、ガソリンスタンド… 特に心ゆさぶられるものはない。
多少、田舎らしい風景になってきたかなと思ったとき、カーナビが鳴る。「まもなく、目的地周辺です」。 えっ、もう着いてしまう!?
まだ、気持ちの盛り上がりが足りない。江戸時代へ行くんじゃなかったのか。そう思う間もなく、アナウンスが流れる。「目的地に到着しました。案内を終了します」。
「…………」。
すっかり山の中。
人が、いない。
いる気配も、ない。
しばし佇む。
聞こえるのは、風の音。田んぼを泳ぐカモの鳴き声。
かれこれ5分ほどいたろうか。
結局、人っ子一人、現われなかった。
かつてここには、20万人もの人が暮らしていたという。当時の日本は世界屈指の銀採掘量を誇り、その大部分がここ石見銀山から運ばれた。現在の人口は、およそ400人。往時のわずか 0.2%。
そのおかげで、豊かな自然が残った… とは、決していえない。例えば、浅草や上野駅がある東京・台東区の人口が、現在 約20万人。関西なら、だんじり祭で有名な大阪・岸和田市がほぼ同数。その人口がもし、400人になったら?
美しい自然や町並みが残る… わけがない。想像するのも恐ろしい、殺伐とした廃墟が残るはずだ。ところが、この大森町では、そうならなかった。
わずか400人で、来訪者を魅了する町並みを今なお、維持している。
これは、とてつもなく凄いことではないか?
「あちら側」(↑)と「こちら側」(↓)
道をたずねるため宿へ電話して分かったのだが、私は集落の「外側」におり、人が暮らすのは橋を渡った「あちら側」にある。
まるで結界のように川の水が、2つの世界を隔てている。橋を渡ると、景色が一変した。
メイン通りと呼べる道がある。ほとんどの家屋が、この通りに面している。
街中ならばウィンドウショッピングをする感覚に近いのだけど、ここはお店よりも一般の民家が多いので「縁側ストリート」とでもいおうか。ここを歩くだけで、ひとしきり町の人とは挨拶を交わせそうだ。
どの家も皆、個性的。けれども、自己主張し過ぎない。
銀行も、郵便局も、もちろん地域交流センターも。個性があるのに調和する。
古い町並みを保存しようと、規制を強化し、観光客の呼びこみに躍起になる町はあるけれど、ここには良い意味での「ユルさ」がある。
うわべのキレイさを保っているのでなく、暮らしの中に遊び心がある。それが心地よい。
町全体に広がる美意識は、どこから生まれてくるのだろう?
いかに人口が少ないとはいえ、いろんな考えの人がいる。意思統一は、容易でないはず。少しでもエゴが先んずれば、調和は乱れる。
だれか1人、聡明なリーダーがいて、強いリーダーシップで全体をひっぱるとしても、これほどのエリアと時間軸をもって全体を保ちつづけられるものではない。この町の民度の高さは、なんなのだ…
その答えを探している。
目指す場所が、見えてきた。「暮らす宿 他郷 阿部家」。この町の発展に大きな影響を与えた宿の主、松場大吉さん・登美さん夫婦に話を伺う。
いよいよ「阿部家」の中へ入っていく。
(つづく)