【十津川村 #1】雄々しく切り立つ断崖。悠然と流れる川。幽幻の美に浸る、日本随一の秘境・瀞峡

果てしなく遠い。それでも行く価値がある。
それが秘境中の秘境といっても過言ではない、奈良県十津川村の「瀞峡」(どろきょう)だ。地元の人は親しみをこめて「瀞八丁」(どろはっちょう)とも呼ぶ。

「今の日本に、本当に秘境と呼ぶほどの場所があるだろうか…」 道すがら、そんなことを考えていた。不便な場所なら、もちろんある。しかし秘境となると、そこに「美」が備わっていなければならない。ただの田舎ではいけないのだ。

「昔は全国各地に美しい川が存在していましたが、護岸工事で多くが失われました。バブル期の工事を奇跡的に免れたスポットが瀞峡です」。『美しき日本の残像』の著者、アレックス・カー氏は、この地についてこう述べている。

1964年に初来日したカー氏は、「美しい日本の最後の光を見ることができた」といったが、それからもう半世紀が過ぎている。あまり期待しないように… 逸る気持ちを抑えながら、瀞峡へ近づいていく。

奈良県最南端、十津川村の中心地からおよそ1時間。ようやく着いた駐車場から、細い階段を降りると、一気に視界が広がる。

大渓谷が、飛びこんでくる。
雄々しく切り立った断崖。森閑とした谷。眼下には深く碧い熊野川(北山川)が悠然と流れる。

ちょうど陽が射しこむ、日中だったから良かったが、もしこれが霧の霞む明け方や、宵闇の静けさの中なら、足がすくんでいただろう。「かつてこの渓谷には、竜が潜んでいた…」。そういわれても、納得しかねないほど、この地の自然は超然としている。

自然に負けず劣らず圧巻なのが、水面から15メートルほどの崖のうえに立つ楼閣だ。威容なまでの存在感を放っている。これあればこそ、この地に遠方からも人を引き寄せる力となっている。「瀞(どろ)ホテル」という。

ホテルといっても、今はもう宿泊施設ではない。週末のランチタイムのみ営業するカフェである。創業者から4代目にあたる、うら若き東さんご夫婦が切りもりしている。

「ぼくが子どもの頃までは、旅館としても営業していました。山で伐った木材を、この川の流れにのせて輸送する “筏(いかだ)師” がここには沢山いて、その人たちに食事や宿を提供するのが、うちの役目でした」と、店主の東達也さんはいう。

熊野川を見下ろす崖の上に「瀞ホテル」が立つのは、その名残りなのだ。往時はこの地区に5軒ほども旅館があった。いまは「瀞ホテル」だけが残る。

「瀞ホテル」も15年前に1度、施設の老朽化と筏師の減少に伴い閉館している。そこに6年前の大型台風が追い打ちをかけた。

「表のデッキには、炊事場などの水回り施設があったのです。それも流されてしまいました」と、東さん。

それでも大正6年(1917年)から続くこの施設をなんとか復旧・復活したいと願い、自らの手で改修をつづけ、4年前にようやく食堂・喫茶としての営業を再開した。

往年の筏師たちの姿はもう無いが、今も大正モダンの面影を残すこの「ホテル」には、遠路はるばる大阪・名古屋からも若い人たちを中心に大勢が訪ねてくる。なかには筏師として、かつてここに泊まったという年配者が混ざることもある。

「やっぱりここは、とても独特なところだと思いますし、こうして遠方からも沢山お客さんが来てくださるのは、本当にありがたいです。」

「今は夫婦2人でやっているので手が回りませんが、いずれはぜひ、ホテル(宿泊)としても再開したいです」と東さんは夢を語る。

お二人が慌ただしく調理・接客する中、愛娘の花名(はな)ちゃんは、おとなしく子ども用の小さな机に向かいお絵かきをしていた。お客さんに好評のお母さん特製ハヤシライスや焼き立てマフィンの味も、いずれ花名ちゃんが引き継いでいくのだろうか。

「瀞ホテル」がホテルとして復活したとき、ここはまさに日常を忘れさせてくれる「桃源郷」として日本中から注目されるに違いない。

 「瀞ホテル」
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 【住所】 奈良県吉野郡十津川村大字神下田戸405
 【TEL】 0746-69-0003
 【営業】 11:30~ ※売切次第終了
 【定休日】水・木曜 ※ 冬期は土日のみ営業

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