森閑とした大渓谷を流れるエメラルド色の十津川
100年もの歳月を重ねてきた瀞ホテルは、今なお現役の食堂・喫茶

【十津川村 #1】雄々しく切り立つ断崖。悠然と流れる川。幽幻の美に浸る、日本随一の秘境・瀞峡

果てしなく遠い。それでも行く価値がある。
それが秘境中の秘境といっても過言ではない、奈良県十津川村の「瀞峡」(どろきょう)だ。地元の人は親しみをこめて「瀞八丁」とも呼ぶ。

「今の日本に、本当に秘境と呼ぶほどの場所があるだろうか…」そんな思いを抱いていた。
「不便」な場所なら、もちろんある。しかし秘境となると、そこに「美」が備わっていなければならない。ただの「田舎」ではいけないのだ。

「それにしても僕は幸せだったと思います。美しい日本の最後の光を見ることができました」。『美しき日本の残像』でアレックス・カーは、そう述べている。それは1970年代のことだ。

それから約半世紀。各地で経済発展、“開発”が進み、景観は二の次、三の次。もはやあるのは、美しき日本の「残像」だけではないのか。あまり期待しないように… そう思いながら、奈良・三重・和歌山3県にまたがる国の特別名勝「瀞峡」(どろきょう)に向かう。

途中、行き交う車の数が減り、峠をいくつも越える中、自分がずいぶんと山奥に入りこんでいるのが分かる。奈良県最南の十津川村の中心地からおよそ1時間。ようやく着いた駐車場に車を停め、細い階段を降りていくと、一気に視界が広がる。

大渓谷が、飛びこんでくる。
雄々しく切り立った断崖。森閑とした谷。眼下には深く碧い熊野川(十津川)が悠然と流れる。

ちょうど陽射しが射しこむ、明るい時間だったから良かったが、もしこれが早朝の朝霧に霞むときや、宵闇の静まりかえった時刻なら、その幻想さに足がすくんでいただろう。

かつてこの渓谷には、竜が潜んでいた… そういわれても、「それはそうでしょう…」と頷くしかないぐらい、この地の自然は超然として、雑念を忘れさせる。

自然に負けず劣らず圧巻なのが、水面から15メートルほどの崖のうえに立つ楼閣だ。
威容なまでの存在感を放っている。これあればこそ、この地に遠方からも人を引き寄せる力となっている。「瀞ホテル」という。

ホテルといっても、今はもう宿泊施設ではない。週末ランチのみ、食堂・喫茶として営業をつづけている。創業者から4代目にあたる、うら若き東さんご夫婦が切りもりする現役のカフェである。

「ぼくが子どもの頃までは、旅館としても営業していました。山で伐った木材を、この川の流れにのせて輸送する「筏(いかだ)師」がここには沢山いて、その人たちに食事や宿を提供するのが、うちの役目でした」と店主の東達也さん。

熊野川(十津川)を見下ろす崖の上に「瀞ホテル」が立つのは、その名残りなのだ。往時はこの地区に5軒ほども旅館があったという。いまは「瀞ホテル」だけが残る。

「瀞ホテル」も15年前に1度、施設の老朽化と筏師の減少に伴い閉館している。そこに6年前の大型台風が追い打ちをかける。

「表のデッキには、炊事場などの水回り施設があったのです。それも流されてしまいました」と、東さん。

それでも大正6年(1917年)から続くこの施設をなんとか復旧・復活したいと自ら改修に挑み、ようやく4年前に食堂・喫茶としての営業を再開する。

往年の筏師たちの姿はもう無いが、今は大正モダンの面影を残すこの「ホテル」に、遠路遥々大阪・名古屋などからも若い人たちを中心に大勢訪ねてくる。なかには筏師として、かつてここに泊まったことがある年配の方の姿もある。

「やっぱりここは、とても独特なところだと思いますし、こうして遠方からも沢山お客さんが来てくださるのは、本当にありがたいです。」

「今は夫婦2人でやっているので手が回りませんが、いずれはぜひ、ホテル(宿泊)としても再開したいです」と東さんは夢を語る。

お二人が慌ただしく調理・接客する中、愛娘の花名(はな)ちゃんは、おとなしく子ども用の小さな机に向かいお絵かきをしていた。

お客さんに好評のお母さん特製ハヤシライスや焼き立てマフィンの味も、いずれ花名ちゃんが引き継いでいくのだろうか。

「瀞ホテル」がホテルとして復活したとき、ここはまさに日常を忘れさせてくれる「桃源郷」として日本中から注目されるに違いない。

 「瀞ホテル」
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 【住所】 奈良県吉野郡十津川村大字神下田戸405
 【TEL】 0746-69-0003
 【営業】 11:30~ ※売切次第終了
 【定休日】水・木曜 ※ 冬期は土日のみ営業

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