『伝統食礼讃 〜 長寿の国の食べもの見聞録』(陸田幸枝・著)という本が、手元にある。全国の“長寿の国”(地域)の食べものを書き記したものだが、その巻頭、真っ先に登場するのが 「十津川村のゆべし」である。
「ゆべし」と聞いて関東人の多くがイメージするのはおそらく、長野や岩手の郷土菓子「ゆべし」だろう。モチモチとした衣の中に餡が入った和菓子だが、十津川村の「ゆうべし」は、まるで違う。(註:「ゆべし」より「ゆう(柚)べし」の方が、地元の言葉に近いらしい。以下「ゆうべし」とする)
パッと見は、熟した柿か和菓子に見えなくもない。しかしどこか違和感がある。他の何に似てるでもないが、これがあの黄色く鮮やかなユズだと言われると、にわかには信じ難い。
十津川村に受け継がれてきた知恵(こしらえ方)が、黄色いユズを漆黒に照り輝く「ゆうべし」にし、芳香ただようフレッシュな柑橘を1年以上常温で保存可能な「長寿食」に変えた。
【原材料】は、ユズ、味噌、そば、かつお節、唐辛子、ゴマ、しそ、クルミ、酒… 集落ごとに原料や配合は異なるが、いずれにも共通するのは、滋味のありったけが詰まっているということ。
【つくり方】
まず、ユズの皮を残したまま、中の果肉だけをくりぬき、上記原料をねり合せたものを中につめる。
しっかり中に詰め込んだら、再びユズの頭頂部(軸の上の部分)をフタのようにかぶせる。
(※ この姿がちょうど釜のようなので、ゆうべしは「柚子釜」とも呼ぶ)
その“釜”をおよそ3時間、蒸し器の中で蒸す。
熱が冷めたら、ひも(ネット)につるして寒風にさらす。
3ヶ月ほどしっかり干したら「ゆうべし」が完成する。
十津川村の天険が、健康長寿の知恵を生む
なぜ「ゆうべし」のような郷土食が生まれたか。それにはここ、十津川村ならではの地理的条件が関係している。
【十津川村 vol.1】日本随一の秘境・瀞峡&瀞ホテルや【十津川村 vol.2】山の奥地に見つけた、圧巻の「秘境キノコ」でも触れたように、十津川村はとにかく秘境と呼ぶに相応しい、遠く険しいところだ。
今でこそ国道が整備され、格段に交通の便がよくなったが、かつては“道”と呼ぶのもためらうほどの“道なき道”を歩むしかなかった。
当然、物資の輸送は困難を極め、交易よりも自給自足を図る必要が生まれる。作物が育たぬ冬場はなおさらだ。保存食というのは、どの地域においても生活者の知恵であるが、殊にここ十津川村においては、生存のための死活問題でもあったろう。
そんな背景があり、滋養に富んだ保存食が必要だったからこそ、ユズ、シソ、ゴマ、生姜など、古くから生薬としても用いられた薬味がふんだんに使われた。まさに「医食同源」。生活の知恵の塊だ。
日本一の生活用つり橋を越えて。長寿食を生む谷瀬集落へ
「ゆうべし」がいつ考案されたのかは、定かではない。
“十津川郷士”に象徴される独立不羈(ふき)の気風が強いこの村なれば、戦の際には携行されたろう。木こりや筏(いかだ)師たちにも重宝されただろう。「僧家が盛んにつくっている」という記録もある。
そんな「ゆうべし」を作る方々にお会いすべく、谷瀬集落を訪ねた。そこがまた、とんでもない場所にある。
生活用つり橋として、日本一長い「谷瀬の吊り橋」 297.7メートルを渡った先にある。今でこそ車での迂回路もあるが、かつてはこの橋を渡る以外に道はなく、橋がかかる以前はいったん谷(というか崖)を降り、川を渡り、ふたたび崖をよじ登らなければならなかった。あまりにも不便だというので、住民が莫大なお金を出し合い、整備したのがこの「谷瀬の吊り橋」だ。
川面からの高さは、54メートル。ご丁寧に(!?)しっかりと橋の上から川をのぞけるよう、板や網のすき間が存分に空いている。すこぶる風通しが良い。揺れ具合も大変よろしい。
私は5歩ほど歩いて、存分にスリルを味わえたので、小屋に戻って「谷瀬ゆうべし組合」の皆さんの話を聞くことにした。
(ちなみにこの橋は、“生活用つり橋”という通り、地元の方々にとっては今なお生活の一部であり、自転車や小型バイク(郵便配達等)でも渡るという。恐るべし十津川村民… ※ 観光の人は徒歩のみ)
「谷瀬ゆうべし組合」のメンバーは12人。大部分は年配の女性だが、なかには男性や嫁いできた若い女性もいる。現在の組合長は男性で、玉田武温(たけはる)さん(61、写真上中央)。
毎年、11月後半にメンバーが集まり、3〜4日かけて約2,000個の「ゆうべし」をつくる。
谷瀬集落は、村内で 1〜2を競う米どころで、谷瀬のつり橋 299.7メートルにちなんで『谷瀬297』という地酒もあると教えてくれた。集落の1つ1つが、広大な地域に分散しているため(十津川村1つで、ほぼ琵琶湖の大きさに匹敵!)それぞれに気候も特産物も違う。
「ゆうべし」も集落により異なり、柔らかいものから固いもの。辛いものから甘めのものまである。
ここ「谷瀬のゆうべし」は、かなりしっかりとした固さがあり、辛さは控えめ。
これを薄く切って、茶漬けや味噌汁に入れると、柚子香が立ちこめる。呑んべえにとっては、酒の肴に丁度よい。まさに佳肴(かこう)だ。1度にたくさん食べるものではないから、1ヶあると結構な期間たのしめる。なにしろ1年以上保存できる。急ぐ必要はない。
お土産に「ゆうべし」を1つ頂いた。
村から遠く離れていても、一切れお湯に入れるだけで柚子香を鼻先に感じながら、村での思い出にふけることができる。
何もかも、スピードと効率化が求められがちなご時世に、こうしてゆっくりと嗜む酒肴は愉しい。
チビリチビリとやりながら、村で出会った人、交わした会話を想い出す。
かつての郷士たちも、こうして村を懐かしんだだろうか。
「ゆうべし(柚子釜)」と並ぶ 十津川村の名産品