秋田県南東部にある横手市は、岩手県と接する県内有数の豪雪地。冬は文字どおり雪に閉ざされる。それゆえ、たくさんの発酵食、暮らしの知恵が生み出され、受け継がれてきた。
味噌・麹(こうじ)・漬物・納豆・日本酒… 代々つづく蔵元が、互いに協力しながらしのぎを削る。
なかでも旧増田町は「蔵の町」として知られ、目を瞠るほど豪奢な蔵(内藏)が多数並んでいる。通りからは見えないが、一歩中へ入ると…

京左官の流れをくむ左官職人が、勉強のために… と増田町を訪れたところ、「そりゃもう、度肝を抜かれた」という。そんな町の一角に、『旬菜みそ茶屋 くらを』はある。
「もともと私は、超健康優良児。プロスキー選手になるつもりでした。ところが30才を過ぎた頃、体が急におかしくなり… 何をやるにも気力が湧かなくなりました。」
そう語るのは、『くらを』の女将・鈴木百合子さん。「旦那も息子もいるのに、ほとんど寝たきりになって……。 いよいよダメかと心配した旦那が、実家の母に連絡してくれました。すると母は、こう言ったんです。」
「秋田に帰ってきなさい。私が元気にしてあげる。」

「実家は、代々続く麹みそ屋『羽場こうじ店』です。母はとにかく “なんか食べなさい。少しでいいから食べなさい。” そういい続けました。」
体は急には治らないけれど、味噌汁を飲んだとき、体に染みていく感覚があった。
「それまでは、仕事に夢中で、便利なお店もたくさんあって… おなかを満たすだけの食事になっていました。今思うと、私の体は袋のように中身が空(から)っぽだったんですね。」
「体をこわして気づきました。うち(麹みそ屋)は、みんなの体をつくっているんだ、なんて素晴らしいんだ!って。もっと早く、気づいていたら……」
そう思った鈴木さんに「まちの食堂 くらを」のイメージが生まれる。
『旬菜みそ茶屋 くらを』誕生 〜 おいしさと健康は1つに
麹みそ屋は「なんてすばらしいんだ!」「みんなの体をつくっているんだ」が1つになる場所。それを生かした料理を提供すれば、おいしさと心地よさ、健康を支えることになる。
そんな食堂が、町に1つあったら…
家族一緒にその食卓を囲めたら…
とても幸せなことではないか?
鈴木さんの想いが、具体的な形になっていく。実家には、父が大切に残してきた「蔵」(国登録有形文化財)がある。家業である「こうじ味噌」もある。なにより、母の「手料理」がある。
一汁一菜。
それで十分ではないか?
調理師向けの学校には通っていないけど、生まれてからずっと、家のこうじ味噌で育ってきた。寝たきりの自分を救ってくれたのも母の手料理だ。
「私が元気にしてあげる。」
母の言葉を大切に。
いつか私も、言えるかもしれない。
「わざわざお金を払って(味噌汁とお漬物を)食べる人はいない。」そういわれもしたけれど、幸いここは「蔵のまち・増田」。観光客も訪れる。
地元では当たり前でも、「蔵の町」に求められるのは、この町らしい風情と風土。実家を離れ、都会で暮らした自分が、1番必要としたのもそれだ。
大切にしたいものを、ちょっとずつ。
毎日、近所のお母さんたちから教わり続けた。

今、『くらを』は7年目を迎え、こうなっている。折しも “発酵ブーム” で、注目される機会も増えた。しかし、一時のブームには乗らない。流行になる遥か前から、『くらを』は『くらを』だったから。
“「発酵食だから健康にいい、食べましょう」というのは、ちょっと違うと思うんです。発酵文化を押しつけるようにはしたくない。
お母さんたちに「発酵料理だから作る。食べている」って感覚はないんです。
おいしいもの、土地に根ざしたものを食べていたら、それが発酵食と呼ばれるものだった、ってことですから。”

発酵食だから食べましょうではない。古いからいい、でもない。暮らしの中の “いいもの” に手を入れる。そんな『くらを』のスタイルが、心地よい。
『旬菜みそ茶屋 くらを』が、家の近くにあったらなぁ… つい、そう思ってしまう。まだまだ “発酵途中” の『くらを』が、これからどう変わっていくか。とても気になります。