「お米の味がしっかりとするせんべい」。その理想を追い求め、職人の技を磨いてきた富士見堂ですが、せんべい屋をとりまく環境は急速に変わっていく。はたして、このままでいいのか?
父から事業を引き継ぎ、変革の先頭にたった3代目・佐々木健雄社長は、「モノづくり」は大切だけれど、それだけで存続するのは難しいと判断します。いいモノをつくれば、売れる。かつてはそう考えられた。今は、モノも情報も溢れかえっている。技術進化により、大量生産=粗悪品とは限らない。ならば、自分たちの商品や技が、他とどう違うのか? 伝え、分かっていただく必要がある。
「モノを伝える」には、パッケージ・デザインの見栄えだけでなく、店づくりや接客まで、自社で責任を持つしかない。問屋まかせでは、お客様への売り方に責任をとれないからだ。その考えが、佐々木社長の目を「モノの流れ」(物流)に向けさせる。
結果として、多くのせんべい屋が大手メーカーやスーパーに淘汰されていく中…
富士見堂は直接お客様とつながることで、「富士見堂せんべい」のファンを徐々にだが獲得していく。
他者(とくに量販店)に依存すれば、売上規模は伸ばせるが、価格競争を避けられない。「モノづくり」の伝統を受け継ぎつつ、「価値を伝え」「モノを届ける」まで自社で行う。それは “たくさん売る” から、“支持してくれる人へ届ける” へのシフトでもあった。「そうしていく」と腹をくくった。
取引先は中間コストか、ご縁を広げるパートナーか。見方によって、結果はまるで違ってくる。
物流フローだけを見ると、「中抜き」を進めているように見えるかもしれない。実際、中間業者をとばして、自社利益を上げる方法は、企業が「合理化」のためによく行うこと。しかし、富士見堂の場合、非効率なことの積み重ねの末に、道が開けていく。
かねてから富士見堂へは、百貨店等での催事出店のお誘いがありました。大勢の人でにぎわう催事は一見華やかですが、出店側からすると手間がかかり、採算が合わぬことも多い。それゆえ、敬遠する企業も珍しくありません。
しかし富士見堂は、これら催事に出来るかぎり参加します。せっかく声をかけてくれた先方の意向がある。それは相手からの厚意ともいえる。「まぁ、お互いさま、おかげさま。お付き合いも大事です」。そう考えるのが、富士見堂のスタイル。義理・人情の厚い、江戸っこ・下町らしいところでもあります。(ここは「寅さんの町」葛飾・柴又のすぐ隣町!)
せっかく参加する以上、短期出店とはいえ店づくりの手は抜かない。「常に誰かに見られている」。そう意識して、会場に立つ。実はここに、富士見堂 飛躍の秘密の1つが隠れています。「百貨店の催事には、他社の催事担当者もだいたい来ていることが多いんです」。
富士見堂に加わる前、アパレル業界でセールスマンをしていた佐々木社長には、「それは当たり前」のこと。それゆえ「出店は他社とつながるチャンス」との計算もあったのです。そして「実際に会場に来ていた別の催事担当者から声がかかるのは、1度や2度ではなかった」といいます。
こうして「モノづくりの先」を充実させて、誰もが羨む商業施設への出店の道が開けていく。
非効率だからと他者を切り捨てていくのでなく、1つ1つのご縁を丁寧にすることで、信頼を積み重ねていった。
変革を迎え、そのとき社員は? 一緒に東京の「味の文化」を広げていく
長く受け継いだ商品やパッケージの変更だけでなく、事業全体をシフトさせていく佐々木社長。伝統ある会社だけに変化への不安や抵抗はなかったのだろうか? 若社長にベテラン社員が反発する例は、珍しくないけれど……。
「今うちには、比較的若い社員が多いです。工場長も50才になったばかりですし。若い人は昔の人ほど根性論では続きませんが、認められると非常にガンバれる。自分がつくったせんべいが、東京駅やスカイツリーのお店に並ぶ。それを見た友だちが、スゴいといってくれる。そうしたことがモチベーションになるようです」。
社長自身が1人ずつと面接し、採用した社員と商品も社風もつくっていく。パートさんも主婦目線のアイデアを出し、その声が商品開発に反映される。
職人の高い技術がベースにあるからこそ、新たなデザインや規格が安っぽくならない。伝統と流行、ベテランと若手が、いい塩梅に中和する。
それがまた、富士見堂の力になる。
ひとつの大きな変革の波を乗りこえたように見える富士見堂は、これから先どこへ向かっていくのか? この疑問に佐々木社長は、「 “東京のもの” が今、求められている」と答えます。
「東京は(食材の)産地ではないから、独自ブランドができないかというと、そうではないと思います。東京は “味の文化” です。いろんなものを組み合わせて、おいしいものをつくり上げています。
今度「千住ネギせんべい」を発売しましたが、これには東京・千住に受け継がれる伝統的なネギを使っています。完全な自給自足はできなくても、それぞれの価値を見出し、届けていく。そこへのニーズは、高まっているのを感じます」。
地方から見れば巨大な消費地である東京も、地元ブランドを発信する発信地になれる。今回、ご縁の発端となった、信州・木曽町の小池糀店さんとのコラボ作『木曽味噌せんべい』もそう。東京と長野のどちらにとっても完全な自給自足ではないけれど、両者が加わることで、より強いメッセージに変わる。
伝統を受け継ぎながら、新たな価値を生む。老舗せんべい屋・富士見堂の人気の秘密は、こんなところにありそうです。
葛飾区青砥の本店へは、佐々木社長と話をしている間も、地元のおじさんやおばさんが買い物にやってきました。富士見堂のせんべいは、決して安くはない。スーパーやコンビニにいけば、他メーカーのものがたくさん並んでいる。それでも「富士見堂さんのおせんべいを…」とお客さんはやってくる。
昔からの常連さんは、すっかりオシャレになった店内に、どんな気持ちで入るのだろう? ちょっと恥ずかしげに、でも楽しそうに、品定めをしているように見えます。今度、お店のお客さんに話を聞いてみたい。そう思える、おだやかな空気が流れる 富士見堂です。