「もう帰ってこない」と思っていた中川村へのUターン
村民に愛される中川村のシンボルが、陣馬形(じんばがた)山。
山頂付近まで車道が通っているので、誰もが気軽に息を呑むほどの絶景を楽しめる。
その山頂展望台へ向かう途中、まるでベースキャンプになるかのような場所に「basecamp COFFEE」(ベースキャンプ・コーヒー)はある。
お店を営む伊藤聖史(たかし)さん・奈都子(なつこ)さん夫婦は、札幌で出会い、暮らしていたが、7年前に聖史さんの祖父母の実家・中川村にUターンした。
「じいちゃん、ばあちゃんの頃から専業農家で、僕自身は大学・就職と故郷を離れていたから、たぶんもう帰ってこないって思ってたんです。」

「でも、うちも含め、周囲の田んぼや畑は、担い手がいなくて荒れていく。この故郷が失われていくのは、イヤだな… と。せめて自分のところだけでも大事にしたい。」 そう思ってUターンを決めたという。
ちょうど自宅近くに、農協の店舗が使われなくなっていた。直接交渉にいくと、幸いにも借してもらえることになった。
2人で少しずつリノベーションし、古い店舗がオシャレなカフェに生まれ変わった。
モノをつくるだけでなく、「どう届けるか」も大事では?
お店というハコは出来たが、問題はそこで何をするかだ。
祖父母から引き継いだ畑はあり、農業をすることは決まっていた。しかし、採れた野菜をそのまま売る八百屋や直売所のようなもので、うまくいくとは思えなかった。買い物だけなら、他にもっと便利なところがたくさんある。
自分たちの野菜を生かしつつ、何か別の価値・業態に変えたほうがいい。わざわざここまで来てでも、食べたいと思ってもらえるものは……。

村の中心地から離れた山の麓にポツンと立つ。使われなくなっていた元・農協の店舗を借り受け、自ら少しずつ内装をリフォームし「basecamp COFFEE」開店にこぎつけた。
「1つ考えたのは、ただ野菜をつくって納品すれば終わりでいいのか? ということです。どうやって届ける? ということも大事ではないかと。」聖史さんは語る。
いかに自分たちがこだわりをもって無農薬の野菜を育てたとしても、ひと度自分たちの手を離れてしまえば、ただの「ホウレンソウ」とか「大根」になってしまい、他との違いが分からなくなる。
シールを貼ったり、顔写真をつけたりしても、そこで伝えられることは限られる。 「ボクたちはモノを渡して終わりではなく、届けると同時に相手からもなにか受けとる、交流・コミュニケーションも含めて大切にしたいと思いました。そうして少しずつでも、人が人を生むようなつながりになっていけば… と。」

良いモノをつくるのは勿論だが、モノの良し悪しだけの関係に留まらない。人を「機能」や「損得」で見るのではなく、心地よくおつきあいすることで得られることがある。そんなことを伊藤さん夫婦は視ているようだ。
「北海道で出会って、ボクたちが大好きになったものの1つにスープカレーがあります。具材がたくさん入って、大人から子どもまで楽しめる。これなら自分たちでつくった野菜を丸ごと楽しめて、個性も出せると思いました。」
カレーというまるで中川村とは縁のなさそうな料理だが、自分たちの立つ場所、できることを考えたらたどり着いたのがスープカレーだった。
できることを少しずつ、広げていく。急がば回れ。
「最初、ここでお店をやるとなったときは、正直、“せめて国道沿いの方がいいんじゃないの?” と思いました。」 奥さんの奈都子さんは笑う。陣馬形山への登頂ルートとはいえ、ふだんの交通量は少ない。
今はそこへ、近所の80才をこす、じいちゃん、ばあちゃんたちがコーヒーを飲みにくる。村外からも「あそこのスープカレーは旨い!」と評判を聞きつけ、人がやってくる。「今となっては、“里山なんだ…” と分かる立地で良かったと思ってます。」
聖史さんがいうように、お客さまとの交流・コミュニケーションを大切にした結果、人づてに噂が広まり、文字どおり「basecamp COFFEE」が「ベースキャンプ」「憩いの場」になりつつある。遠回りしてきたようで、実はしっかりと目指す方向へ進んでいる。急がば、回れだ。

中川村が “いい暮らし” をする「basecamp」になる。
今、聖史さんは、中川村にもっと仲間が増えることを願っている。
「ここには移住して工房を開く人、農家やパン屋になる人、いろんな人がいて、うまくつながっています。このいい循環が今後もさらに広がっていけば……。」そんな想いもあって、お店では最近、音楽家を招いてのミニコンサートやアート作家のアトリエ・展示会なども開いている。
カレーを食べ、コーヒーを飲むというだけではなく、心地よく過ごせる場所と時間を提供する。ジワジワと人の輪が広がっている。
くしくも「basecamp COFFEE」脇の坂を下っていくと、日本で唯一のアンフォルメル美術館『アンフォルメル 中川村美術館』(※1)がある。やはりこの地は、芸術家に愛される土地なのだろう。自分の暮らし、生き方に想いを巡らす「心地よいゆとり」があるようだ。
中川村への来訪、陣馬形山 登頂の折には、必ず「basecamp COFFEE」に立ち寄ることをオススメしたい。
※1「アンフォルメル」(仏語 Art informe)とは、1950年代にフランスを中心にヨーロッパで広がった抽象絵画の動向。『アンフォルメル 中川村美術館』は、鈴木崧(たかし)画伯の構想、建築家・毛綱毅曠(もづなきこう)設計による。(同美術館HPより)
「basecamp COFFEE」
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【住所】長野県上伊那郡中川村大草2145-3
【TEL】 090-9747-1645
【営業時間】10:30~17:00
【定休日】金曜、第2・3木曜日
※ 冬季・農繁期等、臨時休業となる場合があります。ご来店前に HP または TEL にてご確認ください。