とんでもない人に出会ってしまった。
ハチと話しが出来るという。
にわかには信じがたいし、テレビで見たら、絶対インチキと疑うだろう。
ところが、富永朝和さん(80)と直接会って、巨大な異型のハチの巣を目にしたら、否定する方がむしろ難しい。
なにしろ、世界最巨とされる胴回り 6.6メートルのハチの巣が、目の前にある。その存在感は、圧倒的だ。表面には、大きく「ハチ」の字が浮かび上がっている。
人が彫ったものではなく、明らかにハチの手(!?)によるもので、巣の一部になっている。
2年がかり、114匹の女王蜂と約50万匹ものスズメバチとの合作という。
「ありえない!」と、大学教授をはじめ昆虫生態の研究者たちは口を揃える。
本来、2匹の女王蜂がいっしょに巣をつくることはない。巣1つにつき、1匹の女王蜂と決まっているのだ。
それなのに114匹もの「女王」が共存し、女王に従う50万匹ものハチたち(キイロスズメバチ)も、ケンカをせずに一緒に子育てをする。
富永さんは、自分が「ハチの仲間」になるだけでなく、ハチ同士も仲間になるよう、手なづけてしまう。
まさに、「ありえない!」がある。
さらには、こんなものまである。
1998年、長野県で冬季オリンピックが開催されるに合わせ、せっかくだから記念に… と、「聖火ランナー」型のハチの巣をつくってしまった(画像左)
巣を大きくするだけではない。
ハチの行動さえも操る。富永さんとは、何者か!?
『蜂になった男』 富永朝和 〜 ハチ追い少年、ハチになる
「うちは、おじいさんが “ハチ追い” の名人で、ぼくはいつもくっついていったの。ハチの巣を見つけて、じいさんに褒められるのがうれしくってねぇ…。そのうれしさ、楽しさ、そしてハチの暮らしを知る感動が原点かなぁ…」
「子どもの頃はもう、それがうれしくって、まるで犬のようにハチを追っかけてたの。」
ハチのことを語っていると、富永さんは童心にかえるようで、本当に楽しそうに話してくれる。心はいまも野山をかけまわっているのだろう。「ヒザさえ痛めてなければ、直接山を案内したいんだけど…」と残念そうだ。(心なしか、顔の表情も少しハチに似てきている……??)
では、富永さんはどうやって、ハチと心を通わすようになったのか?
いくらなんでも、ハチが日本語を理解するわけないし、“ハチ語” があるわけもないだろう。
ハチの飛び方か、あるいは羽音を聞き分けているのか?
富永さんについて書かれた『蜂になった男』(信濃毎日新聞社)という本がある。
ここに「世界最巨のハチの巣」のみならず、「世界最長(4.1メートル)のハチの巣」をつくった際の一部始終が、記録されている。
これを読むと、富永さんが決して魔法やイカサマで(失礼!)ハチを操っているのではなく、何十年にもわたる注意ぶかい観察、習性の研究から導きだされた、きわめて科学的な成果だということが分かる。
例えば、2匹の女王蜂を “マッチング” させる原理はこんな具合だ。
2匹の女王蜂は、3センチほどの間隔を取って、にらみ合いを始める。
飛びかかって喧嘩が始まる。
巣を侵すものは許さない。2匹は組み合ったまま地面へ落下。
その2匹をすぐ地面から拾い上げ、さらに喧嘩の動向を見守っていると、ほんの一瞬、相手をかんでいる口を話す瞬間がある。それを見逃してはならない。
見逃すと、そのまま強い方が弱い蜂を噛み切り、殺してしまうことがあるからだ。すると、富永に身体を離された2匹は、あきらめたのか、巣が心配になったのか、自分の巣に戻ろうとする。それを簡単に戻してはいけない。
巣の入口をふさぎ、再び喧嘩を始めさせる。もう1度だけ、同じことを繰り返す。
喧嘩は2回まで。
3回やらせると、2匹は喧嘩を覚えて、すぐに喧嘩を始める習性になってしまう。そうすると、その蜂は生涯喧嘩をする蜂になってしまうという。3回目の喧嘩を始めようとする時に、富永が手で妨げてやめさせると、仕方なく女王蜂たちは巣に戻ってゆく。
「1晩たつと、女王蜂は冷静になって考えるんだろうね。どうして喧嘩したんだろうって。もう喧嘩なんかやめて、巣づくりをしようやって。」
そうやって喧嘩をしない習性を覚えた女王蜂が君臨する巣の蜂たちも、当然喧嘩をしない。
(『蜂になった男』より一部抜粋。下線部は当サイト著者)
決して魔法を使っているわけでも、非科学的なことをするわけではない。実際はむしろその逆で、根気づよく実験を繰りかえす科学者のように、何十万匹ものハチを観察しつづけた。
「どんなときに怒るのか?」「どうしたら、おとなしくしているか?」「ハチが喜ぶことは?」
“ハチの目” で自然を観て、“ハチの心” で考える。
それを何十年も、熱狂的に続けてきたから、ハチの気持ちが分かるようになった。そしてついには、
「むこうも(富永さんを)ハチとは思ってないけど、人間とも思ってないだろうねぇ…」
ハチの仲間になってしまった!
「中川村がハチの村、ニホンミツバチの理想郷になって欲しい。」
とにかく富永さんは、ハチが好きで、好きでたまらない。もう、熱烈な恋に落ちてしまった、青年のようだ。
女王蜂に認めてもらうためには、こんなことまでする。
(まだ働き蜂が少なく、女王蜂みずからエサをとりに行かないといけない頃) 毎朝、巣の入口に顔をだし、女王が出てくるのに合わせてゆっくり頭を下げる。パチっとまばたきして “あいさつ” する。
最初はむこうも警戒しているが、何度も忍耐づよく “あいさつ” を続けるうちに、徐々にだがハチとの距離が縮まっていく。
1度女王に認められれば、女王に絶対服従の働き蜂たちも、それに倣うようになる。
ハチの習性・気持ちを理解しようと、自身がハチになりきり、「ハチ第一」の暮らしを続けてきたからこその “偉業” なのだ。
そんな富永さんが今、夢みるのは、中川村がハチ(特にニホンミツバチ)にとっての楽園になること。
「ニホンミツバチはね、百の花に散るというのだけど、昔からある小さな花、自然に咲く野花の蜜を少しずつ集めるの。そして、彼らはとても勤勉で、早寝早起き。朝9時にはもういなくなる。
それに比べて西洋ミツバチは2〜3時間遅い。彼らが蜜を採りにくる頃は、じつはニホンミツバチがみんな1番いいところを持ってっちゃった後なんだよ(笑)」
「日本中のほぼ全ての養蜂家は、西洋ミツバチに安い砂糖をたべさせて育ててる。そうすると1年に4回も蜜を採れる。人に飼われないと西洋ミツバチは生きていけない。でも、ニホンミツバチはそうじゃない。人が飼おうとしても逃げていくし、蜜が採れるのも2〜3年に1度だけ。」
「つまり、ニホンミツバチにとって楽園ということは、その土地が百の花の咲く、自然豊かな土地ということです。」
そうして中川村が、人にもミツバチにとっても、理想郷であることを富永さんは願っている。
富永さんの話を聞いていると、不思議とこちらまでハチに興味が湧いてくる。
「ハチは怖いのではなく、賢い」という言葉が、なんとなく分かってくる気がする。
だからこそだろう、中川村にはハチ専門の博物館「中川ハチ博物館」がある。(前述の「世界最巨のハチの巣」も「聖火ランナー」も、ハチ博物館内に展示されている)
ほとんどギネス級といえる富永さんの研究成果を、ぜひ多くの人に知って欲しい。中川村が世界中のハチ研究者のメッカになって欲しい。そう思わせる力が、富永さんにはある。
最後に1つ付け加えるなら、富永さんを支えつづけた「奥さんは偉大だなぁ〜」ということ。
『蜂になった男』の末尾には、富永さんと奥さん・芳江さんの「夫婦対談」が紹介されている。これがおもしろい。
ーー ハチをやめてくれと言ったことは一度もなかったですか。
芳江: ええ、一度も。言っても聞かないことはわかっていたしね。
朝和:(笑)
芳江: まぁ、好きなことだからしょうがないね。もうそれだけだよ(笑)
朝和: 今日あるのはね、お母ちゃんのおかげ。それは本当にそう思うよ… 「もうついていけない。家か蜂かどっちかにしてくれ」って言ったら、蜂をやめるしかなかったからね。
芳江:(笑)
(『蜂になった男』より)
最強のオオスズメバチさえ手なずける富永さんだが、奥さんには頭が上がらないようだ!?
「ハチ博物館」
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【住所】長野県上伊那郡中川村大草4489
【TEL】 0265-88-2033
【開館時間】9:00~17:00
【閉館日】毎月第3水曜日 ※ 不定休あり