先日、長野県中川村のカフェ「basecamp COFFEE」(ベースキャンプ・コーヒー)をご紹介しました。里山にポツンと佇むお店にご近所のじいちゃん・ばあちゃんはもとより、遠方からも若い人たちがスープカレーやコーヒーを楽しむべくやってきます。
店主の伊藤さん夫婦と話していて印象的なのが、料理の味やそこでの料金(高い安い)とは別のところでお客さまとの関係をつよくしているということ。
(村にUターンし、農業を始めるにあたり)1つ考えたのは、ただ野菜をつくって納品すれば終わりでいいのか? ということです。どうやって届ける? ということも大事ではないか… と
ボクたちはモノを渡して終わりではなく、届けると同時に相手からもなにか受けとる、交流・コミュニケーションも含めて大切にしたいと思いました。そうして少しずつでも、人が人を生むようなつながりになっていけば… と
おいしい料理をつくって、心地よい空間をご提供する… それらはもちろんカフェとして大切だけど、十分ではない。
決して便利とはいえない場所にあるお店に来てもらい、また来ようと思っていただくには、味や料金以外のところでも、魅力と価値を感じとってもらえなければいけない。人とどう関わるか、人との関係性を伊藤さん夫婦は大切にしているようです。
そのためにゴールへ向けて最短距離をまっしぐら… ではないかもしれないけど、足元にあるものを見つめ、少しずつ “自分のできる” を増やしていく。その過程も楽しんでいる模様。急がば、まわれ。案外その方が、目指しているところへしっかり近づけるのかもしれません。
そんなことを感じた「basecamp COFFEE」伊藤さんとの会話でした。
その伊藤さんとの会話にとても似た話を、先週、まったく違う場所で耳にしました。
東京・西国分寺にある『クルミドコーヒー』さん。
くしくも同じ「カフェ」という業態のお店で、店主の影山知明さんの話を聞いたときのことです。
『クルミドコーヒー』は、2013年に食べログのカフェランキング 全国1位に輝き、それ以降もつねに上位にランクインする人気店(直近 2018年は全国5位)。
影山さんの著書『ゆっくり、いそげ』を読んでから、いつか『クルミドコーヒー』に行きたいと思いつつなかなか実現できずにいましたが、ついにお店を訪れ、影山さんと直接お話しする機会に恵まれました。
『クルミドコーヒー』の影山さんといえば、もともとはカフェ経営とは縁遠い、東大法学部 → マッキンゼー → 外資系投資会社役員 という、まるで絵に描いたようなエリートコースを歩んでこられた方。
その影山さんが一転、実家をカフェに改築し、店主となり何を想うのか?
著書タイトルが「カフェ経営投資術」とか「個人オーナーコーヒー店の経営改革」等ならいざしらず(!?)、実際はサブタイトルも含めると『ゆっくり、いそげ カフェからはじめる 人を手段化しない経済』。「ん?」という疑問符が頭に浮かびそうですが、その内容もおよそこれまでのキャリアイメージとはかけ離れたものになっています。
そもそもなぜ私が、この本を手にするようになったのか(国分寺に縁があるわけでも、カフェ経営に興味があったわけでもないのに)、そのきっかけをよく思い出せませんが(たぶんアマゾンのリコメンドで出てきたのかと…)、読んだ後「これは今年の “読んでよかった本” ベスト5に入る!」と思いました。
カフェ経営に携わる人のみならず、町や暮らしのあり方に関心のある人、「このまま働いて、幸せになれるのかしら…?」と思うことがある人ならば誰でも(つまりはほとんどの人が含まれる?)、ぜひ読んでいただきたい本です。(当サイトを訪れ「まちづくり」とか「美しい村」に興味をもつ人なら、相当高い確率で読んで良かったと思うはず)
(カフェイメージ:山形県飯豊町の和洋菓子店「香月」の焼菓子と雪室珈琲)
『ゆっくり、いそげ』を読んで私がハッとしたのは、ふだん自分がなんとなくモヤモヤと感じるビジネスや社会における違和感をみごと言語化し、その背後のロジックや構造をかなりクリアーに解析してくれていたから。
ここでその全てに触れることはできませんが、あえて3つだけ強く印象に残った点を挙げると…
「お金(値段)が全てじゃない」というけれど、ではどうしたらそれ(=お金じゃない価値、高くても買うという行為)を買い手は、気持ちよく引き受けられるか?
売りたいがために、お客さまの「消費者的な人格」を刺激しない。
ポイントカードや割引販売は、人の消費欲を刺激し、短期的売上増に貢献するが、その先はむしろ、人との関係を先細らせる。
逆に GIVE(ギブ)から入る「受贈者的な人格」をこそ意識する。
「利用し合う関係」から離れる。
仕事に人をつけるのでなく、誰がいるかによってどんな仕事をするかも決まる。
なんかキレイ事をいっていると思われるでしょうか? 一般的な経営論と正反対のことも書かれています(人に仕事をつけたら辞められたときに仕事が止まる。属人的な経営は危険、というのが一般的)
でも、あえて繰り返しますが、著者の影山さんは、生き馬の目を抜く資本主義経済の最前線(外資系投資会社)でビジネスを続けてこられた方。モラロジーの教授や評論家ではありません。その方がなぜ、上記のような考えをもつに至ったか? そして、その考えの実践場といえる「クルミドコーヒー」は、いろんな紆余曲折を経ながらも、お客さまの支持を集めている。
これだけでも、読む価値が十二分にあると思えてきませんか? オススメです。
(以下はご興味のある方だけどうぞ)
本は原著を読むのがベストですが、
もうちょっと内容を知りたいという方のために、上記3点を少しだけ補足すると……
「お金(値段)が全てじゃない」というけれど、ではどうしたらそれ(=お金じゃない価値、高くても買うという行為)を気持ちよく実現できるのか?
クルミドコーヒーでは各テーブルに長野県東御市産のクルミを「おひとつどうぞ」と書いて、自由に食べられるようにしている。ケーキや料理に使う食材も、なるべく近場の信頼できる人のものを使っている。当然、原価は高くなる。そこで値下げ交渉をするとか、安心・安全のものを選びましょうと理性(左脳的)に訴えるのではなく、一定の価値を共有できる「特定多数」(不特定多数という言葉に対し)の人との関係を大切にしている。
売りたいがために、お客さまの「消費者的な人格」を刺激しない。
GIVE(ギブ)から入る「受贈者的な人格」をこそ育む。
少ないコストでより多くを得ようとするのが人である(自己利益を最大化させる)という前提に経済学は立っているが、今はあまりにも社会のすべてがこうした「交換取引」に埋めつくされている。それは結局だれも幸せにしないのではないか? 世の中に「消費者的な人格」の人と「受贈者的な人格」の人がいるのではなく、1人の中に両方が存在する。問題はお店が “どちらの人格” のスイッチを押すか。「いいもの受け取っちゃったな…」という健全な負債感を渡すことで、「受け手」は次の「贈り主」になり得る。それが「小さなシステム」の中で長期の関係を築いていく知恵でもある。
「利用し合う関係」から離れる。
仕事に人をつけるのでなく、誰がいるかによってどんな仕事をするかも決まる。
会社における目的は、売上・利益の最大化と多くの人は思っているけど、はたして本当にそうなのか?もしそうなら、社員もお客様も、そのための「手段」となる(=テイクする対象、利用する相手)。この考えはジワジワとぼくらの日常を侵食する(「この人と付き合っておくと得だな」「役立ちそうだから名刺交換しとくか」と、人を「利用価値」で判断してしまう)。それは自分が「利用(される)価値」で扱われることを了解することでもある。「利用し合う関係」は先細るが、「支援し合う関係」は時間とともに強まり、大きくなる。それは土と植物の関係のようでもある。
ぜひ多くの方が、同書を手にしてもらえればと思います。